top of page

「コモン」の思想と明野ヴィンヤードの未来 ──2023ヴィンテージを終えるにあたって



1.本格的な収穫とワイン醸造を実現した2023ヴィンテージ


 開園3年目にあたる2023年、明野ヴィンヤードは2.8トンのブドウを収穫し、シャルドネ、甲州(以上は白ワイン)、メルロ、カベルネ・フラン、シラー、カベルネ・ソーヴィニヨン(以上は赤ワイン)と、栽培している全6品種のワインを独自に仕込みました。

 今年の気候は猛烈な暑さが社会的問題にまでなるほどでしたが、雨が少なく、ブドウの成熟にとっては好条件な年で、全体としては良好年(Good Vintage)と評価されています。ただ、産地によっては猛暑の否定的な影響を受け、酸の減少や着色不良(赤熟れ)などの問題も発生しました。そういう状況の中で、山梨県の中では冷涼で昼夜の温度差の大きいわが明野ヴィンヤードでは、糖度が極めて高く、いっぽう赤熟れも少なく、酸も良好に残った高品質なブドウが収穫できました。

 ワインはすでに発酵を終え、熟成過程に入っていますが、メルロはフレンオチークの樽で、カベルネ・フランとカベルネ・ソーヴィニヨンについてはステンレスタンクと樽の両方で、甲州とシラーについてはタンクで貯蔵されています。このあと熟成を深めたワインは、甲州とタンク貯蔵の赤ワインは来年の5月に、樽貯蔵の赤ワインは来年12月にリリースされる予定です(シャルドネだけは生産本数が僅少のため、市販せず会員対象のイベントで消費されます)。またそれとは別に、カベルネ・ソーヴィニヨン100%ジュースが本年12月10日に発売されます。

 白ワインは八ヶ岳オーガニックヴィンヤード様に、赤ワインについてはドメーヌ・ド・アケノ ヴェニュス様に委託醸造してもらったものですが、原料ブドウの良さをそのまま表現していただき、ワインの品質も上々と期待されています。

 このように、いまや明野ヴィンヤードは3年目にして完全に成園化への軌道に乗り、本格的な発展の段階に到達したと言えるでしょう。


2.事業としての転換点を乗り越えた年


 ブドウ園の状態は、昨年2022年ヴィンテージ終了の段階で目標として想定したものとほぼ同じであり、その意味では予定通りの順調な発展です。

 しかし、組織としての明野ヴィンヤードにとっては、今年は大きな試練の年でした。

 年初に、合同会社社員間での意見の相違から、社員が赤松ひとりになってしまったからです。創業時から、当初の数年は垣根畑の日常的な農作業の一切を赤松が引き受けて軌道に乗せる責任を取ることが前提であるものの、年齢的問題からも、5年程度の時間の中で後継者体制を作っていくことが、初期投資を支援してくれたサポーター会員や栽培活動を担ってくれるヴィンヤードクラブ会員を含めた共通の確認になっていました。その展望がまだ具体的になっていない段階で、この事態が発生しました。

 この試練に対処するため、一方では2月にクラブのオンライン総会を開催して、会員全体に事業と活動の継続への合意を取り付けるとともに、活動の中心を担ってくれてきた熱心な会員数人による運営チームを結成して、経営方針の策定や業務の遂行を協議のもとで行う体制をつくったのです。

 また、日常的な農作業にはかつてのように頻繁には参加できないものの、事業の継続を心から応援してくれる古参の会員の皆さんにも、アドバイスを求めてきました。

 そういう過程を経て、収穫期を迎える段階では、事業の今後の方向性について共通の確認ができるようになりました。それは、この事業は誰か特定の「後継者」(あるいは出資者)に委ねるべきものではなく、会員の中で、赤松のビジョンに共感するとともに今後の事業継続にも責任を持っていこうと考えるコアなメンバーの共同経営体制によって運営していくべきである、ということです。

 そして、そのことを会員全体に表明する場としても、今年の「休憩所完成祝賀第2回明野ヴィンヤード収穫祭」を開催することを決定し、10月21日に大成功を勝ち取ったのです。

 以下に、そのことを報告した10月23日付けのフェイスブックの文章を再録します。




 第2回収穫祭の成功を喜び、明野ヴィンヤードのさらなる発展を確信する


 10月21日の第2回収穫祭は、直接には開園3年目にして6品種のブドウ仕込み(樽を使ったワインやジュースを含めると9アイテムの生産)が可能になった本格的な収穫と、念願であった休憩所の完成を明野ヴィンヤードのメンバー、クラブ会員、サポーター会員がともに喜び、祝うお祭りでした。

 収穫日に、農場内で開催するという試みは、天候による開催の不確かさ及び収穫作業との両立の不安定さというリスクをも覚悟した決断でしたが、幸いにして絶好の好天に恵まれ、収穫と祝祭という二つの喜びを心から満喫できる最高のイベントとなりました。

 以下いくつか僕が強く感じたことを書きます。  

 第一は、小規模な仲間内の催しとはいえ、本当に素晴らしく、満足度の高い、高水準なイベントが実現できたことです。  南アルプス、富士山、八ヶ岳を望む美しいブドウ畑の中で、爽やかな陽光と風を感じながら、美味しいワインと食事を味わい、親しい仲間と集い、語らう楽しさは極上のものです。重要なことは、これが明野ヴィンヤードが本来持っている魅力と可能性の現実的開花を示していることです。

 例えば魅力の中心をなすワインについていうなら、我々は極上のワインをつくること自体を至上命題としているわけではありません。どちらかと言えば、この環境の中で、自分たち自身がブドウを栽培し、ワインをつくり、ともに楽しむことを優先しています。  しかし今回、初仕込みで発酵が終了したばかりのシャルドネで乾杯した時、参加者みんながその香りと味わいの良さにびっくりしました。また、22ヴィンテージのカベルネ・ソーヴィニヨンを飲んだ時、5月の初リリース時より熟成が進み、味わいが深くなっていることに気づき、嬉しくなりました。つまり、明野・浅尾原のわが農場で自前の醸造用ブドウ(欧州系と甲州)を栽培し、ワインにすることのポテンシャルが現実のものとなりつつあるのです。


 第二は、この企画が今年1月以来、僕をサポートし、会社の運営をともに担ってきてくれた「運営チーム」の周到な準備によって実現され、さらに協力してくださった当日スタッフの献身的な活動で成功を収めた、ということです。  企画と運営のアイディア、さまざまな仕掛け、食材の調達やメニューの多彩さ、調理ぶりなどにみるその力量は、プロに匹敵するものであり、クラブの多士済々ぶりを示しています。明野ヴィンヤードの強みは、会員そのものにあるということです。


 第三は、今回の企画が明野ヴィンヤードがさらに広く地域との共存を図り、全国の市場に打って出る第一歩となったことです。  今回農場周辺の住民の皆さん(防除活動の広報を軸とするLINEに8世帯が参加している)に呼びかけたところ、3世帯5人の方が参加され、参加できなかった1世帯からも自家製パンの差し入れがありました。皆さん、ワインと食事、歓談を楽しまれ、今後の共同の構想まで話が弾みました。  来年の収穫祭は、一般の方にも参加を呼びかける形でできればと考えています。また、来年5月には23ヴィンテージのワインがリリースされ、一般のワイン市場への販路拡大も追求しなければなりません。ささやかながら、その一歩を踏み出したのです。


 第四は、今回の収穫祭全体と最後の僕の発言によって、明野ヴィンヤードの事業の今後の方向性が明確に示されたことです。  もともとこの事業を僕が始めたのは、営利を目的とした起業ではありません。ブドウ─ワインづくりを軸にしながら、会員の皆さんの人生をより豊かで楽しいものとし、社会にとっても意味のある活動を継続していく<場>を作るために、自前の農場をつくったわけです。もちろん、それを継続させるためには経営体(会社)としての安定が必要であり、そのためには責任者も必要です。ただ、それを特定の個人を後継者とする必要はないし、むしろそうしないほうが良いと確信したのです。  運営チームを核として、そうした体制を作り上げることに全力をあげます


3.「コモンの思想」に導かれた明野ヴィンヤードの建設


 今回の「転換」は今年1月の会社再編を契機にするものですが、僕自身にとってはむしろ、もともとの構想の具体化という性格を持っています。それを明らかにするために、明野ヴィンヤードの事業発足以来の経過の中で、この問題に触れてきたことをまとめてみます。


 最初は僕が中央葡萄酒から独立し、明野ヴィンヤードの建設を決意したきっかけに関わります。この点について21年2月23日、「僕の思想家遍歴─①齋藤幸平」の中で、次のように述べました。


 実は、僕自身が74歳になって「あと5年~10年をかけて新たな挑戦」に挑む決意をしたきっかけの一つが彼の著書でした。一昨年8月『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐』(集英社新書)を読み、特にマイケル・ハートとの討論における欧米における新たな社会運動の発展、<「コモン」の民主的な協同管理>という視点に実践的な刺激を受けたのです。  つまり、中央葡萄酒という会社の事業を前提にした「栽培クラブ」の活動で終わるのではなく、自前の事業=運動を作りたい、みんなと新しい協同関係を作り出したいと思ったわけです。


 次にこの問題に言及したのは、翌年7月3日、肺がん手術での入院を前にして、最後に「言っておきたいこと」を書いた時です。


 僕が栽培クラブの実践や明野ヴィンヤード の計画について、「これからの社会のあり方」や「コモンの民主的共同管理」などと結びつけて語るとき、客観的に言えば、それがちっぽけな実践に対する「主観的意味付与」に過ぎないことは自覚しています。  しかしまた、本当に小さなものではあれ、そこに確かな手応えと可能性があることを確信もしているのです。  一つには、15年にわたる栽培クラブの実践によって、見田宗介のいう「自分の周囲に小さいすてきな集団やネットワークが胚芽としてつくられた」確信があるからです。  もちろん類例のなかったものを作り出したなどと特権的に主張しているのではありません。むしろ、様々な人々によって無数に作り出されている・作り出されるべきものの一つだからこそ、意味があると思うのです。  もう一つには、「コモンの民主的共同管理」という大きな社会的課題に立ち向かう際の最も有効な切り口の一つが<過疎地や農村部の土地を都市住民と結合して共同使用していく>ことにあると思うからです。  実際、限界集落の問題に見られるように、地方─過疎地の地域共同体の危機は深刻であり、そこでは土地の私有制がもはや意味を持たない状況も生み出されています。一方都市住民の生活・環境危機も深刻であり、それを農村部との結合によって突破していこうとする動きは、行政や企業のサイドからも生み出されてきています。それらを敵視することが大事なのではなく、民衆の行動や社会運動がより有効な実践をつくり出していくことが必要なのです。  明野ヴィンヤード自体は2haの土地(借地)でしかありません。それでも、まだまだ有効な使い方が工夫できます。さらに、明野─北杜市に広がる周辺には、他のヴィンヤード、(観光)農園、キャンプ地、工房や芸術施設など、すでに繋がりあるところがいっぱいありますし、無限の可能性があります。なにより素晴らしい人たちがいっぱいいます。  <ブドウ栽培─ワインづくりの楽しさ>と<多様な個性的で楽しい会員とのつながり>をキーコンセプトにしながら、明野ヴィンヤードがそうした繋がりの一つの核になっていけたら、と希望しているのです。


 そして直近では、今年の10月10日、 「10.21収穫祭について」でこう書いたのです。


 その上で、僕にとってはこれが一番大事で嬉しいことなのですが、このイベントが明野ヴィンヤードの事業の今後の発展方向を打ち出し、実現していく第一歩となるということです。  昨年の収穫完了後、「第1回明野ヴィンヤード収穫祭を終えて─感慨と抱負」という文章の最後に、今後の展望について次のように書きました。

 「ワインづくりとワイナリー建設の展望については、今のところ手探りから出発する状況です。数年は他社の施設を使わせてもらいながら、自力で醸造できる力をつけていきます。  自前の施設をいつ建設すべきかは、今後の担い手(後継者)と共に考えていくべき課題です。事業の将来はいずれにせよ次の世代にかかっています。  それでも、僕には、自分で実現し、引き継いでもらいたいビジョンがあります。それは、高品質なワインが生み出されるようになっても、熱烈なワインファンの市場を対象とした高価なカルトワインを目指すのではない、ということです。  基礎となるのは、あくまでも、都市住民が仕事のかたわら明野の畑に通い、生活をリフレッシュするとともに、自分が栽培したブドウでつくったワインを自分たちで楽しみ、さらに職場や居住地域とは別の人間的交流の場を実現する、というヴィンヤードクラブの活動です。  そして、それを上回る生産量については、つつましく暮らす普通の民衆が、日々の暮らしの中で何か楽しいことがあったときに、家族や友人と、家庭や身近な居酒屋・レストランで気軽に楽しめて、しかも美味しい本格的なワインとして流通してほしいのです。」

 この「後継者」「今後の担い手」「次の世代」ということに関して、今年1月の新経営体制(合同会社の社員が僕一人となった)移行以来、力強く緻密に支えてくれた数名のスタッフと協議を重ね、また十数年来苦楽を共にしてきた古参の会員たちの意見を聞いてきました。

 その結果、この事業は誰か特定の「後継者」(あるいは出資者)に委ねるべきものではなく、会員の中で、僕のビジョンに共感するとともに、今後の事業継続にも責任を持っていこうと考えるコアなメンバーの共同経営体制を実現していくことにしました。合同会社の社員構成や定款をどう整理するかという具体策は今後詰めていく必要がありますが、基本的な考え方と陣形は固まりつつあります。僕自身にとっては、もともと追求しようとしていた「コモン」を具体化することでもあります。


 このように、一貫して追求してきた問題意識が、ようやく具体的・現実的な課題として実現していく段階に来つつあると思うのです。


4.『コモンの「自治」論』を読む──「コモン」の思想と運動の現段階



 ここで、今後の明野ヴィンヤードのあり方を考えるためにも、「コモン」の思想と運動の現段階について、斎藤幸平+松本卓也=編『コモンの「自治」論』(集英社 本年8月刊)を検討してみたいと思います。

 「コモンの思想」が注目されるようになったのは、私見では主要に二つの要因があると考えます。  一つは、全世界を覆った「新自由主義」(一言で言えば、「公」と「共」の解体、民営化と「個人責任」の万能化、資本主義による人間的領域全体の包摂)の嵐の後、その弊害が如実に明らかになる中で、水道や電気などを筆頭に宇沢弘文的に言えば「社会的共通資本」を再び公共的に管理する要求、運動が巻き起こってきたこと。  もう一つは、マルクス主義、共産主義の思想理解において、それまでスターリン主義的に<私的所有の廃絶=国有化と計画経済による上からの「平等化」>として捉えられてきたものを、<個人の自由を基礎に置きながら、公共財を民主的に共同管理するcommon ・ism=communismことを基礎に置く>ものとして捉える考え方が、新しい旗印として魅力的に提起されたことです。

 しかし「コモンの思想」も、日本の論壇及び運動の常として、外国から輸入された新しい概念が一時的にもてはやされるだけで、現実の運動や社会を変えることなく消え去るという運命から自由ではありません。  この本が「コモン」という思想と運動の新しい旗印に対して、あえて「自治」という、日本において長年にわたって社会的実践的営為を支えてきながら、今では色褪せ、ほとんど有効性を喪失しているかにみえる概念を対なるものとして提起したのは、そうした危惧を自覚して、日本の現実の中で鍛え上げようと意図してのことだと思われます。

 さて、この本は「自治研究会」と題された研究会での討論から生まれたもので、編者の二人以外に、白井聡、松村圭一郎、岸本聡子、木村あや、藤原辰史ら全部で7人が各章を執筆しています。  僕としては、斎藤だけでなく白井(『未完のレーニン』以来の読者で、10・8山﨑博昭プロジェクトの2015年関西集会後の懇親会で話をした)や藤原(FBで「藤原辰志を読み、考える」を書いたあと、昨年松本での「ウクライナ連続講座」後に懇談した)はかねて注目してきた論者ですし、杉並区長に当選した岸本はいま最も注目する政治家です。

 本書の全体を簡単に紹介しましょう。

第1章 大学における「自治」の危機 白井聡

 日大・東大闘争を頂点とする「68年」「全共闘運動」への反革命としての大学政策、学生管理策が、「大学の自治」や「学生の自治」を衰退させることによって、いかに学生・若者の成熟を阻害し、社会の未来を荒涼たるものにしているかが明らかにされます。ただ、それを克服する力が現在の大学の中から生み出される可能性については、残念ながらかなり懐疑的です。

第2章 資本主義で「自治」が可能か? ──店がともに生きる拠点となる 松村圭一郎

 文化人類学者である筆者が、商品交換の場所である「商店」、小資本家である「独立自営業者」が「自治」と「共存」の担い手となる可能性を提起するもので、各地の書店や飲食店、ライブハウス、古着屋などの魅力的な例が紹介されます。

第3章 <コモン>と<ケア>のミュニシパリズムへ 岸本聡子

 「自治」の主戦場たる地方自治体における課題を取り上げた章。ヨーロッパで自治体・市民運動の研究者だった筆者は、市民主導で杉並区長に押し上げられました。その経歴からカタカナ言葉の多い文章ですが、内容は着実なものです。とくに<コモン>を論ずるにあたって、周りを気遣う<ケア>と女性の視点で政治や組織のあり方を変えようとする<フェミナイゼーション>の観点に重点がおかれます。また理念や政策をいかに実現するかの苦労も語られています。

第4章 武器としての市民科学を 木村あや

 筆者は福島原発事故後の母親たちの放射能汚染調査をテーマにした『放射能ママと市民科学者たち』(英文)でレイチェル・カールソン賞を受賞したハワイ大学准教授の社会学者。市民運動が現実政治に影響を与える際にテコとなる科学的根拠を提供する「市民科学」について、その重要性と問題点を指摘しています。

第5章 精神医療とその周辺から「自治」を考える 松本卓也

 著者はラカン派の精神分析を原点とする精神病理学者&社会思想家です。

 「68年」の反精神医学運動をかたわらで眺め、その後の木村敏・中井久夫、さらに向谷地生良らの実践によくわからぬまま関心を持ち続けてきた僕にとっては、とても明晰な分析を与えてくれます。

 その上で本題との関係では、「当事者になる」ことの重要性及び、主体集団のあり方として、垂直を全否定して水平関係のみを追求するのではなく「斜め」なあり方の重要性、そして「ちょっとした工夫(+α)」で世界をよりましなものに組み替えるための<自治>が提起されます。

第6章 食と農から始まる「自治」──権藤成卿自治論の批判の先に

 食と農を軸に共同・共有そして自治を考えることは、極めて自然で有効な方法です。しかし一方で、村落共同体に安易に依存することは、画一性や共同性の押し付け、排外主義への傾斜などの危険性をも伴います。

 かつてドイツにおける有機農業礼賛がナチス的排外主義と結びついた歴史を抉り出した筆者は、戦前の農本主義者・権藤成卿批判を通して、その隘路に陥らない道筋を「迷い、考えること」を続けながら模索します。

第7章 「自治」の力を耕す<コモン>の現場 斎藤幸平

 社会変革の実践的運動論を正面から提起した章です。  最初に、自治を巡る困難の原因を探り、これまでの社会変革運動・社会変革理論(制度主義、政治主義、コスパ思考、ソーシャルビジネス、中央集権的組織論etc.)の問題点が指摘され、それに対して21世紀の新しい運動の波がネグリ=ハートの提起した「マルチチュード」と<コモン>をキーワードに紹介されます。  さらに、欧米とくにコモンの運動が最も進んでいるスペインの運動の高揚と停滞・再興の様子が紹介され、ミュニシパリズム(地域主権主義)、単に水平的関係ではなく組織化や制度化をめざす「斜め」の関係、リーダフル(指導者を多く生み出していく)、自己立法と集団的自律、「自治」におけるアントレプレナーシップなどの重要性が提起されます。  著者が結論として強調することは、<コモン>による経済の民主化が政治の民主化を生む、ということです。

 万人が<コモン>の再生に関与していくことが「構想と実行の再統一」を実現し、「自治」の領域を広げていく。その動きは、最初は小さくても構わない、3.5%の人間がリーダフルな存在になれば、今私たちが想像するよりもずっと大きく、この社会は変わる、その意味で「<コモン>の自治」こそが「希望なき時代の希望」なのだと、本書は結ばれます。

三つのコラム 

 各章の間に、<「京都三条ラジオカフェ」がつなぐ縁 藤原>、<市民一人ひとりの神宮外苑再開発反対運動 斎藤>、<野宿者支援からのアントレプレナーシップ 斎藤>のコラムが挟まれていて、どれも興味深い実践です。 以上で、紹介は終わりです。

この本全体や斎藤の提起の包括的な評価を今はしません。 ただ何点かだけコメントをつけておきます。  第一は、重要で有効な提起であり、これがきっかけになって、さまざまなところで多くの人の実践が生まれることを期待する、ということです。一部の識者による、斎藤の欠陥をあげつらう冷笑的批判には与しません。  第二に、我々は欧米のみならず韓国やアジアを含めて、もっと世界の運動に学ばなければなりません。日本経済が今や世界の一等国から陥落している程度よりも激しく、日本の運動は遅れています。  第三に、日常的実践の軸を<コモン>に置くこと自体は正当ですが、戦争や人権をめぐる全世界の問題に共感し、応答する運動抜きに世界を変革することはできないでしょう。  第四に、現代における<コモン>の領域として最も重要なもの(の一つ)はメディア、とくにプラットフォームです。「三条ラジオカフェ」的な小さな実践を増やしていくとともに、GAFA的なものを規制する民衆自身の運動と対抗策を練り上げることが急務だと思います。 「コモン」の実践に関する二つの類型

 最後に、『コモンの「自治」論』で紹介される実践例には、宇沢弘文のいう「社会的共通資本」にあたる<文字どりの「コモン」>と、「商店」や「自営業」のような<現実には私的なものを「コモン」として展開すること>が混じり合っていることについて注意を喚起します。この二つは、最初からごっちゃにしない方がいいでしょう。

 前者の<文字どおりの「コモン」>については、それぞれが当該の地域や課題に関わる人々にとって大切なものであることをおさえた上で、運動的観点でいうと、その類型に属する重要な課題を全国的・全民衆的規模で盛り上げていく戦略が必要だと考えます。つまり<これが「コモン」の運動だ>という姿を登場させる必要があるのです。  その課題が何なのか、すぐに言うことはできません。本で取り上げられている「神宮外苑再開発反対運動」がそうなりうるかもしれませんし、僕の指摘したプラットフォームをめぐる闘いがそういう糸口を見つけられれば素晴らしいことです。  ただ歴史のifを言うなら、国鉄分割・民営化阻止の闘いを、国労=総評解体を狙う支配階級の攻撃に対決する戦後労働運動・民衆運動の存続をかけた決戦として闘い抜くと同時に、地域民衆の生存に不可欠な公共交通を維持するための自立と共存を求める闘いとしても組織し、結合することが求められていた、と思うのです。  また、個別の課題とは異なりますが、大阪・関西万博の破綻が明らかになる中で、このかん「コモンの解体」の最悪の尖兵となってきた大阪維新の府政・市政を転覆させる闘いは全国的・戦略的な意義を持っています。しかもそれを選挙戦に矮小化させず、文字通り「コモンの復活・民主的管理」を求める住民の運動として組織することが、極めて重要だと考えます。

 もう一つ重要なのは、いま述べたことは後者の<現実には私的なものを「コモン」として展開すること>の意義を低めるものではなく、むしろそれを小さな規模で無数に巻きおこしていくことがいま、決定的に求められている、ということです。  こうした実践は、企画した当事者がやる気になれば、いつでも・どこでも・どんなかたちでも始められます。始めは一人でもいいのです。その実践がめざす<コモン>に切実な現実性があれば、必ずや周囲の人々を巻き込み、小さくても地域に根づいて発展する可能性を秘めています。  この際、<小さくても>ということがポイントです。実際、そこからしか始められないだけでなく、そのこと自体に<コモン>や<自治>の担い手を育て、鍛え上げていく意味があるのです。  斎藤が第7章で力説しているように、参加者が<構想と実行を統一する力>をつけ、<リーダフル>になり、<垂直か水平かを超えた「斜め」の関係>を作り上げていくためには、一人ひとりの意味と役割がはっきりしている少人数から出発する必要がある、ということです。

 したがって、先に述べた<文字どおりの「コモン」>をめぐる全国的・全民衆的運動を展開するにあたっても、既成の指導部や有名人を頭に担いで、あとは無定形な大衆をマスコミを使って動員するようなやり方ではダメです。それぞれが小さな<コモン>を展開する無数の運動・組織が協力し合い、大きな運動を編み上げていくことによってこそ、真に力強いものとなるでしょう。

5.いま、問われていること──「コモン」の思想と明野ヴィンヤードの未来


 明野ヴィンヤードの事業を<現実には私的なものを「コモン」として展開する><小さな実践>として発展させるためにいま必要なことはなにか?


 最初に必要なことは、この事業を真の意味で会員自身の共同の事業とすることでしょう。


 明野ヴィンヤードは、浅尾原共有地組合(現財産区)の所有する2haの土地を北杜市農業振興公社を介して明野ヴィンヤード合同会社が借り、そこに(現在では赤松一人となった)社員の出資金とサポーター会員の会費(将来のワイン購入予約金)をもとに垣根設備を建設してブドウ苗を植え、クラブ会員のボランティア労働によって本格的なワイン生産が可能になるまで育ててきました。その意味では、これまでも会員によって支えられ、担われてきたわけです。とはいえ、会社設立の経緯もあってこれまでは、事業は会社が経営し、会員はそれを支え利用していくと理解されてきました。  しかし、今回僕が事業を「コモン」として展開すると決意し、宣言したことによって、事業の主体自体が今後は会員となるのです。


 もちろん、宣言しただけで真にそうなるわけではありません。会員自身がそう理解し、行動することが必要です。  そのためには、まずもって僕が自分のビジョンを会員の皆さんに正面から訴え、理解してもらわなければなりません。。  3.でみたように、これまでも折りに触れて僕は明野ヴィンヤード建設にかける個人的な思いをfacebook(かつてはmixi)などに書いたり、会員の皆さんに直接語ってきました。しかしそれは、あくまでも僕の個人的な思い入れとしてでした。いま問われているのは、クラブや会社、事業の基本的なあり方として、共通の確認事項にするということです。

 それは同時に、「僕のビジョン」ではなく「明野ヴィンヤードのビジョン」として明確にしなければならない、ということです。  内容を確定し、分かりやすく明瞭に、できれば簡潔にまとめ上げ、明文化することが必要です。それは会社のウェブサイト等で公表され、対外的に自らを説明するとともに、内部で方針を決めていくときの基準にしなければなりません。


 その過程は、会社─クラブの運営方法、方針・計画の策定とその実行の具体的なあり方について、練り上げ・つくり上げていくことと同時並行で行われることになるでしょう。 

 その中では、②で確認してきた<リーダフルな組織><垂直でも水平でもない、「斜め」の関係><自律><「自治」におけるアントレプレナーシップ>といった示唆がきっと役立つはずです。

 それがどういうものになるかは、今言うことはできませんし、ここで書くべきことでもありません。なぜなら、会員と一緒に決めていくことだからです。


 次に必要なことは、明野ヴィンヤードが会員だけの事業に閉じこもらず、広く社会に向かって「コモン」を広げ、実現していくことです。


 まずクラブ自体を常に新しい会員を受け入れる開かれたものにしなければなりません。設立時は旧栽培クラブ会員だけで発足したものが、この3年、順調に新しい会員を増やしてきました。今こそ、それを一挙に増やすチャンスなのです。  そのテコとなるのが、ワインのリリースに他なりません。ブドウを仲間と一緒に栽培する楽しさに加えて、明野─浅尾原ならではの高品質で魅力的なワインが他ではあり得ないリーズナブルな価格で楽しめるのです。営利を目的とせず、「コモン」を追求するからこそ可能なことです。


 さらに、ブドウ─ワインづくりの楽しさを核としながらも、自らの事業の内容を<自分たちがやりたく・楽しいこと>と<社会的に必要とされていること>の観点から増やしていくことが望まれます。すでに「野菜づくり」や「果実の食品づくり」などでは小さな一歩を踏み出していますし、「観光」や「飲食」などは遠からず着手できそうな予感がします。

 また、すべてを自分たちでやろうとするのではなく、北杜─明野のいろんな住民・生産者・企業・団体などと協力し、共同の事業に参加し、つくり上げていくことも大切です。

 未来は、夢は、大きく広がっています。  そんな一歩をこの12月、会員とともに踏み出します。

閲覧数:134回
bottom of page