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「コモン」の思想と明野ヴィンヤードの未来 ──2023ヴィンテージを終えるにあたって
1.本格的な収穫とワイン醸造を実現した2023ヴィンテージ 開園3年目にあたる2023年、明野ヴィンヤードは2.8トンのブドウを収穫し、シャルドネ、甲州(以上は白ワイン)、メルロ、カベルネ・フラン、シラー、カベルネ・ソーヴィニヨン(以上は赤ワイン)と、栽培している全6品種の...
2023年11月26日
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第1回明野ヴィンヤード収穫祭を終えて─感慨と抱負
初ヴィンテージの活動をほぼ終え、10・8山﨑博昭プロジェクト関西集会参加のため大阪に行くこのタイミングで、明野ヴィンヤード建設の経過と現段階について少しまとめてみます。 1.中央葡萄酒から独立するに至る経緯 1996年から中央葡萄酒でブドウ栽培に取り組むことになったのは、偶...
2022年11月26日
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藤原辰史を読み、考える
はじめに 【以下の文章は、2022年7月27日から8月16日にかけて、フェイスブック個人ページに断続的に掲載したものをまとめたものです。】 このところ作業の合間に、藤原辰史(京大人文研准教授、専門は農業史・食の思想史)のいくつかの著書を集中的に読んできました。...
2022年8月17日
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山本清次さんがミャンマー問題でアピール文を発出
山本清次さんが3月中旬、ミャンマー問題についての文書(3月11日付A4版22頁及び3月14日付3頁)を各政党、国会議員、マスコミ各社、運動団体などに送付したそうです。 現地の情勢と日本の状況を見て、いてもたってもいられず、声を上げたのでしょう。...
2022年3月17日
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2021年11月、関西で会う人びと
2021年11月20日から22日にかけて大阪に赴いた。20日にエル・おおさかで開催された「10・8山﨑博昭プロジェクト 秋の関西集会」に参加することが契機になったが、主目的は同地の友人たちに会うことだった。それに向けて、17日から18日にかけてface...
2021年11月23日
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明野ヴィンヤード開園の挨拶
新たな挑戦としての明野ヴィンヤード建設に向け、2020年9月28日「明野ヴィンヤード合同会社」を設立し、北杜市明野町浅尾原の地で圃場整備に着手し、21年1月から棚及び垣根の施設建設を開始、4月3日から11日にかけて約3500本の苗を植えて、農場を開園しました。...
2021年10月26日
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肺ガン手術と書籍版『きみが死んだあとで』発刊にあたって
1.7月5日、肺ガンの手術をしました。 6月4日、4月に受けた国民健康保険の健康診断結果を伝えられた際、レントゲン検査で左肺に影があり、精密検査を受けるよう指示されました。 かかりつけの医師に相談したところ、直ちにCT検査及び山梨県立中央病院の専門医の診察を手配していた...
2021年8月11日
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僕の思想(家)遍歴
昨年末、僕はfacebookでの発信を開始した。 2011年に友人・神尾賢二が海外に移住するに際して、消息確認のツールとしてfacebookへの登録を求められ、ページだけは開設していた。しかし、当時は会社等への顧慮から不特定多数の人との交流を広げるつもりはなかったので、いっ...
2021年3月10日
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映画『きみが死んだあとで』完成にあたって
はじめに 代島治彦監督の長編ドキュメンタリー映画『きみが死んだあとで』が完成した。 1967年10月8日の佐藤首相南ベトナム訪問阻止羽田現地闘争に参加し、警察官との激突の中で死んだ京大生山﨑博昭君の人生の歩みを兄の山﨑建夫氏や大手前高校の同級生達らの証言で再現した上巻と、そ...
2020年11月6日
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大切な人たちとの訣れと新たな挑戦
はじめに 新型コロナウイルス感染防止のため自宅籠りを余儀無くされる日々が続く。この時間を利用して、2012年12月に公開したこの個人サイトの最後の更新となるかもしれない記事をアップすることにした。 なぜ「最後の」更新かと言えば、開設の目的であった「山梨にすみ、ワイン用ブ...
2020年5月21日
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中央葡萄酒退職の挨拶(2020.5.20)
退職のご挨拶 社員の皆さん。私は本日付けで中央葡萄酒株式会社を退職することになりました。長い間、皆さんのお世話になったことを感謝し、コロナ禍により全体朝礼が開かれないことに鑑み、書面でご挨拶をさせていただきます。 1996年4月に49歳で入社し、最初から農場長という職責に付...
2020年5月20日
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ピエール・バルーと鈴木さん
「青森のタカラモノ」として地元の人々に敬愛されてきた鈴木正治さんが、日本全国、世界に広く知られるようになったきっかけとして、一九九四年秋のピエール・バルーに招待されたフランスでの制作と個展開催、九五年三月の朝日新聞記事「石と木と墨と−鈴木正治の生き方」(中島信吾記者)、そし...
2018年4月1日
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鈴木さんと青森生活の思い出(2018,1,20〜1.28)
1.生誕百年記念展に向けて 青森の友人から連絡がありました。来年で生誕百年を迎える鈴木正治さんの展示会を4月3日から9日にかけて青森市民美術館で開催する。それに合わせて、地元ミニコミ誌『北の街』に昨年12月から「鈴木正治生誕百年記念展によせて」と題する連載エッセイ企画がスタ...
2018年1月28日
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10・8から50年を生きて( 2017.1.25)
10・8山﨑博昭プロジェクトについて プロジェクトの開始にあたって、「賛同人の一口メッセージ」に次のように書いた。 山崎博昭(そして辻敏明、正田三郎)の死への責任感を最大の根拠に1993年まで中核派で活動した。そうした倫理を捨て、現実に意味のなくなった運動・組織と決別して2...
2017年1月25日
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ライフワークとしての栽培クラブ
この文章は、2012年3月10日に開催された「グレイス栽培クラブ5周年祭」の企画「シンポジウム―栽培クラブを語る」の冒頭での発言用に作成した、同タイトルのレジュメをもとに書き下ろしたものです。大きな流れは当日の発言と同じですが、10分強の時間では言えなかったことを追加した内...
2012年11月30日
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2011年7月1日
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2010年9月27日
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高校時代の思想的模索(2010.9.24)
高校時代のアウトラインは、既に『牧野義隆遺稿抄』のなかの「牧野義隆略歴」のなかで描いたとおりである。つまり、牧野の高校生活を語ることは、僕のそれを語ることでもある、という関係に二人はあった。 大阪の周辺部(牧野は守口市)の、自営業者の中流家庭で育ち、中学で越境(彼は天王寺中...
2010年9月24日
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三田誠広の二つの文章に表現された僕の姿( 2010.9.24)
高校の2年下の群像 僕らが高校三年のとき、社研部に新入生が一人入部してきた。岩脇正人という男で、大阪市周辺部の自営業者の息子という点では、僕や牧野と似た環境の出であったが、二人よりもさらに政治的、思想的、文化的に早熟な少年であった。...
2010年9月24日
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小、中学時代の作文と読書遍歴について(2010.9.23)
子供時代(小学校〜中学校)の文章として、実家に保存されていた小学校卒業文集掲載の「キャンプ」、個人文集所載の作文「中学生になって」、さらに中学の読書感想文コンクール作品集掲載の二つの文章を収録しておきます。 小学生から中学生への二つの文章 キャンプ(1959.3)...
2010年9月23日
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