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第1回明野ヴィンヤード収穫祭を終えて─感慨と抱負

 初ヴィンテージの活動をほぼ終え、10・8山﨑博昭プロジェクト関西集会参加のため大阪に行くこのタイミングで、明野ヴィンヤード建設の経過と現段階について少しまとめてみます。


1.中央葡萄酒から独立するに至る経緯


 1996年から中央葡萄酒でブドウ栽培に取り組むことになったのは、偶然の人の縁(革共同離脱後の道案内人となってくれた今は亡き親友・神尾賢二と、元の同志で、三澤茂計社長の片腕となっていた酒井正弘さんの二人)です。

 そのうえで、山梨の美しい自然の中で、良質なワイン用ブドウを作るために努力する仕事自体が楽しく大好きになったのと、まさにその時代が日本のワインづくりの歴史の転換点で、中央葡萄酒─三澤社長が最大の推進力の一人であったことによって、社会的にも大きなやりがいを感じられたのは、幸運としか言いようがありません。


 しかも、2007年から会社の仕事の一環として取り組み始めた「グレイス栽培クラブ」の活動が、いったんは断念した社会と人間に働きかける情熱を呼び覚ましてくれ、まさに「ライフワーク」として(半)永続的に展開するつもりでいました。

 ところが、経営者の世代交代を伴う会社の方針転換(高級ワインへの特化、「世界一のワインをめざす」)によって、クラブはその仕事の一端を支えることを誇りとするものへの純化を要求され、僕のめざした「活動の楽しさ」「会員の自己実現」「新しい共同的社会関係の構築」といった目標の追求が困難になったのです。


 2019年暮れから2020年5月にかけて煩悶の時期を送った僕は、①僕自身がまだまだ現役で活動できるし、したい ②僕と一緒に活動を継続したい会員が相当数存在する ③会員の中に、ブドウ農家に転身したい人、将来ワイナリー建設を志向する人がいる という要因から、退社・独立して、②や③の人々と共に、新しい農場(将来的にはワイナリー)の建設とクラブ活動の継続を決意するに至った次第です。


2.明野ヴィンヤードの設立


 当初会員の中でブドウ・ワインづくりに取り組む希望を持つ人は他にも数人いたのですが、結局、夫婦で甲州栽培農家への転身を決意した北野さんと、今はまだ本業に従事しなければならないけれど、将来のワイナリー経営を展望して明野に別宅をつくった田島さんの二人が残りました。

 二人のために農地を確保するべく、北杜市全体を広く探す中で、農業振興公社から現在の浅尾原の農地を紹介されたのです。

 明野では二度と得られないだろう2haの1枚畑であり、三澤農場より100m以上高い標高820mに位置する傾斜地で、水捌けがよく、風通しの良い南北に長い畝が作れる地形など、垣根式のブドウ農場として、まさにこれ以上ない条件を備えています。南アルプス連峰に向かって開けながら、南に富士山、北に八ヶ岳を真正面から望む眺望も素晴らしいし、何より、偶然にも田島邸の隣接地だったのです。

 実はこの農地は、圃場の拡大を要望する某ワイナリーを念頭に造成されたにもかかわらず、防除活動をめぐって近隣住民との話し合い・交渉が必要であることを嫌った某社が借りなかったため、宙に浮いた状態になっていました。公社としては、新たな借り手を探したいが、実績のない人に貸すのは不安だということで、僕になら貸すという態度でした。


 それまでは、会員の就農を支援し、その農場を拠点にクラブの活動を継続するというのが、僕の基本的スタンスでした。  しかし、この農地と出会ったことによって、自分が主体となって農場を建設する決意を固めたのです。  そこで、僕が代表となって田島さんと会社を設立し、北野さんが自営する棚式の甲州圃場と結合して「明野ヴィンヤード」を建設することにして、旧栽培クラブ会員には、その事業を資金面で応援するサポーター会員及びブドウ栽培作業を共に担うクラブ会員になってもらうことを呼びかけたわけです。3度の説明会を経て周辺住民の合意を取り付け、合同会社を登記・設立したのが20年9月でした。


3.植樹・開園の年、2021年


 20年秋の圃場設計・用地整備を経て、21年1月から業者に依頼した棚施設建設に続き、2月から僕と北野さんで垣根施設を建設しました。そして4月、垣根圃場にカベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、メルロ、シラーの赤ワイン用品種とシャルドネ及び甲州の白ワイン用品種、棚圃場に甲州の苗、約3,800本を植樹して開園。


 それに向けて、2月にオンラインで明野ヴィンヤードクラブの総会を開催して、活動を正式にスタート。また旧栽培クラブ会員以外にも会員募集をアピールし、僕の友人・知人を中心に、新たなサポーター会員が増えました。

 植樹にはのべ109人の会員の参加を得ましたが、コロナ禍での制限により、生育期間中の「作業日」を設けることはせず、数名程度の有志参加を繰り返しました。


 1年目のブドウ生育は概ね順調に推移しました。ただし、圃場の場所の違いによる苗の生育の差が判明し、土地造成後の圃場における土づくりの重要性を改めて確認し、取り組み続けています。


4.初収穫・初仕込みの年、2022年


 良質な苗を適切に育てると、ブドウの樹は1年目から果房をつけるのですが、樹体をしっかり育てるため、切り落とします。2年目は、従来の棚栽培のように樹を大きく育てるところは引き続き収穫しないのが通常ですけれども、密植して小さいままブドウ樹を成長させる垣根式では、収穫しても構いません。というより、僕は樹を栄養成長優先型でなく、生殖成長優先型に育てるためには、積極的に早づくり(初期から収穫)すべきだという見解です。


 今年は、1年目の苗、とくにカベルネ・ソーヴィニヨンの成長ぶりから、初収穫できると判断して、栽培に取り組みました。そして実際、シャルドネやメルロなど一部に鳥の食害を被ったものの、ほぼ計画通りの収穫を達成できたのです。品質的にも、農場の潜在力を確信させてくれるものになりました。


 ワインへの醸造については、自前の設備も免許もない段階では、当然委託することになります。  ところが、幸いなことに、単に商売として頼むではない関係に恵まれました。  同じ明野で、やはりカベルネ・ソーヴィニヨンを主体にワインづくりに5年間取り組んでこられたドメーヌ・ド・アケノ・ヴェニュスの吉田修三さんとしばらく前に知り合っていたのですが、心良く引き受けてくださったのです。


 しかも、会員で中小企業の経営支援の仕事をしている古屋浩昭さんが、僕と北野さんがワイン醸造に取り組む力をつけるため、6次化支援事業のインターンシップ制度を活用して、アケノ・ヴェニュス及び安蔵正子さんのカーブ・アンで醸造研修する道筋を開いてくれました。こうして、我々自身が携わるかたちで、初ヴィンテージワインを2種類仕込むことができたのです。


 また、ヴィンヤードクラブの活動も、今年から隔週で作業日を設定してやれるようになり、旧栽培クラブ出身ではない新会員も増えました。宴会も、春の新会員歓迎懇親会、秋のサポーター会員を含めた収穫祭と2度にわたって開催できるようになりました。


5.コロナ禍と肺ガン罹患を乗り越えて


 こうして振り返ってみると、現在の浅尾原圃場との運命的な出会いを決定的な条件として、明野ヴィンヤード建設の事業は、きわめて順調に推移してきたと言えます。


 しかし実際には、この2年半はまさに「コロナ禍の時代」への突入と軌を一にしており、人と会い、相談し、一緒に行動し、共に喜び合う、ということが極めて困難になった時期でした。  また、植樹・開園がひとまず成功した段階で突然判明した、僕の左肺線がん罹患─切除手術─胸膜播種再発─抗がん剤治療継続という事態は、晴天の霹靂というべき試練でした。この事業は、差し当たり数年間、僕が垣根畑の日常的な農作業を全て引き受けることを一切の前提にしているからです。


 こうした試練に対して、僕は怯まず逃げず、正面から立ち向かうことにしました。幸にして、天は試練を乗り越える生命力を与えてくれたようです。  決断した時点で73歳(現在76歳)の、資金力も醸造経験もない人間が、新たに農場─ワイナリー建設に立ち向かうのは、客観的に見れば無謀と言えたかもしれません。しかし、北野さん夫妻、田島さん、多くの会員の皆さん、そしてつれあいと力を合わせることにより、試練を乗り越え、確実な展望を握りしめたと言えます。感謝の一語あるのみです。


6.展望と抱負


 ブドウ畑に関して言えば、来年から本格的な収穫が始まり、各品種ごとの、一部は樽を使った醸造が可能になる収量を得られます。4〜5年後の成園化の道筋は見えてきました。  原則的で丁寧な栽培を貫けば、明野ヴィンヤードのテロワールは良質なブドウ果実を産み出してくれるでしょうし、とくにカベルネ・ソーヴィニヨンやカベルネ・フランなど晩熟型の欧州系赤品種については、日本でもトップクラスの高品質なものになる現実的可能性を持っています。北野さんの栽培する甲州も、ワイン専用ブドウとして貴重なものになるに違いありません。


 ワインづくりとワイナリー建設の展望については、今のところ手探りから出発する状況です。  数年は他社の施設を使わせてもらいながら、自力で醸造できる力をつけていきます。  自前の施設をいつ建設すべきかは、今後の担い手(後継者)と共に考えていくべき課題です。


 事業の将来はいずれにせよ次の世代にかかっています。  それでも、僕には、自分で実現し、引き継いでもらいたいビジョンがあります。  それは、高品質なワインが生み出されるようになっても、熱烈なワインファンの市場を対象とした高価なカルトワインを目指すのではない、ということです。


 基礎となるのは、あくまでも、都市住民が仕事のかたわら明野の畑に通い、生活をリフレッシュするとともに、自分が栽培したブドウでつくったワインを自分たちで楽しみ、さらに職場や居住地域とは別の人間的交流の場を実現する、というヴィンヤードクラブの活動です。  そして、それを上回る生産量については、つつましく暮らす普通の民衆が、日々の暮らしの中で何か楽しいことがあったときに、家族や友人と、家庭や身近な居酒屋・レストランで気軽に楽しめて、しかも美味しい本格的なワインとして流通してほしいのです。


 僕は今でも自分の人生の目標を、富裕層やグルメ層のためでなく、世界と日本で懸命に生き・働き・たたかう人々と共にありたいと願っています。  と同時に、人間はどんなに苦しい時や厳しい生活の中でも、楽しさや喜びを追求し享受する存在であり、人間の解放とは「粗野な共産主義」や「環境の限界からくる禁欲の強制」からは実現されないと確信しているのです。


 こうした方向を実現するためには、一般のワイン愛好家だけでなく、酒販店や飲食店、さらに生協的な組織などの中に、我々の理念に共感してもらう独自のネットワークをつくることも必要になるでしょう。  やるべきこと、やりたいことは巨大にあります。どこまで実現できるかはさておき、さらなる努力を続けようと思います。

【2022年11月19日 個人facebookページに投稿】

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