高校時代の思想的模索(2010.9.24)
- redvine
- 2010年9月24日
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高校時代のアウトラインは、既に『牧野義隆遺稿抄』のなかの「牧野義隆略歴」のなかで描いたとおりである。つまり、牧野の高校生活を語ることは、僕のそれを語ることでもある、という関係に二人はあった。
大阪の周辺部(牧野は守口市)の、自営業者の中流家庭で育ち、中学で越境(彼は天王寺中学)して大手前高校に進学した、という点で二人はきわめて類似した環境にあった。また、入学する前から社研部に入るつもりだったのも共通している。
違っているのは、牧野が既に60年安保闘争の全学連の闘いへの共感者として、安保ブント(共産主義者同盟)などの政治組織や吉本隆明、谷川雁などの知識人について、大学生と同じレベルの知識を持っていたことと、詩歌や音楽など芸術への感性と志向において彼の方がはるかに鋭敏なことであった。
社研には同じ東中学出身で、その当時は秀才としてしか知らなかった加藤敦史も入部してきた。彼はインテリ家庭育ちであり、兄が大阪市立大学で学生運動にも関係していたから、やはり僕より情報には詳しかった。二、三年生に目立った人材がいなかっため、三人がすぐに中心になり、部活としては「空想から科学へ」などのマルクス主義入門書の学習会などを始めたが、本当に真剣だったのは、60年安保闘争後の左翼知識人の動向のフォローであった。
誰かが保存していた『中央公論』60年1月号掲載の吉本隆明「戦後世代の政治思想」を読んだのがきっかけで、吉本に傾倒し、その観点から安保ブントファンになった。
つまり、それまでの世代がまず資本主義批判(戦争や貧困への反発)からマルクス主義への接近=共産党への接近という経路をたどったのに対し、僕らは60年安保闘争を契機とする共産党前衛神話の崩壊—既存正統派マルクス主義との決別を前提として、マルクス主義や共産主義運動への接近を始めたのだ。
それには時代的背景があった。資本主義は貧困・恐慌と戦争を不可避とする社会であり、社会主義になるのは歴史の進歩であり必然であるという進歩派的な歴史観が、一方で戦後資本主義の復活と高成長、他方でソ連・中国など既存社会主義の官僚制的実情の露呈という両面から既に現実性を失いはじめていた。
それに対し、豊かになった(なり始めた)資本主義社会のただ中で、人間が高度に発達したシステムの奴隷としてしか生きていけないという感覚、「人間疎外」とか「物像化」とか表現される現実への否定→人間解放=プロレタリア解放としてマルクス主義や共産主義、革命を希求する流れが、理論的には初期マルクスの再評価と結びつき、思想的には実存主義の影響を受けながら(とくに先進資本主義国では)生み出されてきた。
図式的にいうと、①世界的な、資本主義批判=マルクス主義=共産主義をめぐる古い時代から新しい時代への転換、②日本の社会運動における共産党前衛神話の崩壊→新しい自立的な組織と運動創成の動き、を背景として、③<自己ー他者ー社会>をめぐる自意識の葛藤から自己変革=社会変革を追求する僕の選択が重なったということができる。
③の問題について、もう少し述べておこう。
高校2年生ぐらいの段階で、外面的には僕はいっぱしの知識人&革命家予備軍としてふるまうようになっていた。吉本隆明主宰の雑誌『試行』や『日本読書新聞』を定期購読し、関西ブントの機関紙「烽火」を読んで政治集会に参加し、関西労働者学園という夜間講座で詩人・独文学者・京大助教授の野村修が担当する文学クラスに参加して「埴谷雄高論」をレポートしたり、大阪府学連のデモや部落解放同盟の集会に参加したり、といった日常を送っていたのだ。
しかし、自分の内面では、どのような理論や言説もほんとうに自分のものか迷い、文学や芸術の分野での創造性の欠如に苦悩し、自己嫌悪に陥ることが常であった。
ここでも僕の思想的回天に吉本が影響を与えてくれた。試行出版部から発行された『初期ノート』とくにその最後の「過去についての自註」を読んで、自分の進むべき道がはっきりしたように感じたのだ。
その思いを「<重み>について」というエッセーにまとめ、牧野や神尾との同人誌『イルミネイション』に発表し、高校生活を終えるにあたってのマニフェストとした。残念ながらこの雑誌も文章も残っていないが、概略次のように展開したことは明瞭に覚えている。
人は生まれてきた時代、環境を選べない。自分にたいして自覚的になったとき、そこにある<自己>は既に与えられたものとしてある。それが羞恥や自己嫌悪の対象としてあれば、そのような人間にとって、<自己変革>とは生存における当為ではなく、生存そのものである。そして自己変革とは、「時代の不幸を時代に返す」ものとして、社会変革を通してしかありえない。
僕が中学校時代いらい感じていた受験勉強第一主義—大企業&官僚本位の競争社会志向がもたらす人間性破壊とは、資本が人間を支配する資本主義のシステムそのものにほかならない。
そして自己変革=社会変革のために必要なのは、自分の考えが他人の借り物かも知れないことを躊躇して行動をためらうことではなく、まずは「本当らしく感じている」ことを行動して、その行為が現実にどう影響を与え、自分と他者にどう跳ね返ってくるかを受けとめることによって、自分の「本当」をつくっていくべきなのだ。
このような自分なりの整理を、吉本と並んで支えてくれたのが、竹内芳郎の『実存的自由の冒険』であった。今では全く顧みられない思想家であるが、ニーチェ、ベルグソン、サルトル、マルクスをとりあげたこの著書は、ニヒリズムから出発しながら社会と歴史の全体性に到達する道を生き抜こうというリアリティを当時の僕に感じさせた。
かくして僕は、入学時に大学に提出する書類の「愛読書」の欄に、正直にというべきか、気負ってというべきか、『初期ノート』と『実存的自由の冒険』を並べて掲げ、革命的インテリゲンチャとして本格的に学生運動に取り組むことを宣言したのである。
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