福田みどりさんからの手紙(抜粋)(2008.11.17)
- redvine
- 2008年11月17日
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明野の日々から、一週間が過ぎました。 今なお、その余韻の中にいます。 元々私は、生きることに積極的ではありませんが、それでも こんな日の為に人生はあるのよ。 声を弾ませたくなる時があります。若い頃から、胸の高鳴りを覚えるほどに精神が高揚した経験が何度かありました。 五十歳を過ぎる頃から心通う人に巡り合うと、 この世に未練が残って困ります。 齢経るほどにこの困惑が強くなってきました。 赤松さんご夫妻や、酒井さんと向かい合っていると、このような感情が、常に心の中で右往左往していました。 深遠な会話の妙味を堪能させていただきました。私の日常からは程遠く、まことに刺激的でありました。震えるばかりの感動に酔っていたといってもよいと思います。 せめて十歳若かったらいいのにと思いました。せめてせめて五歳でいいから若かったらいいのにと思いました。切なくもありました。 こんな心境に陥ったのは久々のことであります。 改めて、生きることの意味を教えていただきました。感謝しています。 朝日新聞に穴吹史士という人物がいます。 確か、赤松さんと同じ昭和21年の生まれだと思います。大阪の出身です。京都大学を出ています。専攻は理系から文系に移られたと記憶していますが、これは曖昧です。 穴吹さんが、週刊朝日の編集長だった頃に仲良くなりました。 司馬さんが亡くなった後、司令塔になって様々の処理をして下さいました。 定年を迎えられたはずですが、今でも時々特集記事を書いておられます。 二年半前に夫人を失われました。恋女房でした。玲子さんといいました。その落胆は見るに忍びないほどでした。 玲子さんが亡くなられたあと、大腸がん、肝臓がん、肺がんと、手術をされました。 一人のご子息と、二人のお嬢さんがおられますが、それぞれ独立しておられるので、病苦と闘いながらの一人暮らしの孤独と不便に堪えかねて、この春再婚されました。昔からの友人で千賀子さんといいます。 浅井聡さんが、その穴吹さんに会って赤松さんの話をしたら、赤松さんが学生運動のスターであったことをよく知っておられて、周囲の女性がいつも騒いでいたという話を懐かしそうにされたということでした。 そんなことから、今度桃の季節に再訪する時には是非穴吹さんもお誘いしようということになりました。 穴吹さんには、関西人特有の屈折した複雑な所もありますが、なかなか味のある人物ですので、私もご一緒できたらいいのにと思っています。 (以下略) 2008年11月17日 福田みどり
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