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大手前高校1965年卒還暦記念同窓会講演(2007.5.3)


1)はじめに

 みなさん、本当にお久しぶりです。一部の方とはここ2年ほど東京や山梨でお会いする機会がありましたが、多くの方とは高校卒業以来、実に42年ぶりということになります。

 その間、何回もの同窓会にずっと欠席で「行方不明者」のリストに入っていた者が、還暦記念という節目の席で壇上からお話をすることになって非常に恐縮です。

 ご紹介がありましたように、僕はいま、先ほど乾杯したワインをつくっている会社で原料のブドウを栽培する仕事をしていま す。そこでワインの話ならみなさんに楽しく聞いてもらえるだろうと幹事の方々が起用してくださったのですね。ワインの話といってもいろいろありますが、今 日は時間もあまりありませんから、僕がワインづくりに携わってきた過程とからめて日本のワイン作りの歴史について簡単にお話しすることにします。

 そのうえで、今日の幹事役の安積さんが世話役をなさっている金蘭会セミナーで今度の5月18日に「ワインの話」という講演をすることになっています。ワインについて本格的にお聞きになりたい方は、ぜひそちらに出席くださるようお願いします。

2)日本のワインづくりの歴史―僕の経歴とからめて

 ご存知の方も多いでしょうが、僕は高校時代から学内で社研部の活動をする傍ら、学外でも60年安保のときの全学連の中心と なったブント、新左翼といわれる流れの運動に参加しはじめ、大学入学後はその道に突き進んでいきました。そして、1993年、47歳のときになってようや く、それまで続けてきた運動、いわゆる極左過激派の専従活動家生活に終止符を打ち、普通に働いて生きていこうと決めたわけです。


 ここにも出席している神尾に助けられて、最初本州の北の果て、青森で職を得てとにかく市民生活に軟着陸してからしばらくして、偶然の人間関係の縁で、96年から山梨県の勝沼町にある中央葡萄酒というワイン会社でブドウを栽培する仕事につくことになりました。

 僕としては、それまでの、人間を相手に思想やイデオロギーで組織するという生活に破産が宣告されたわけですから、今度は自然を相手にモノをつくって働こう、しかもそれが自分の好きなお酒づくりでもあるというのは願ってもないことだ、ぐらいのつもりだったのです。

 ところが、これが日本における本格的なワインづくりの歴史の大きな転換点の中で、一つの役割を果たすことになりました。

 みなさんは殆どご存じないでしょうが、日本のワインづくりは明治時代に国策として奨励されて始まったのです。これは北海道 における牧畜・酪農の導入などと共通する欧米の産業の導入、近代的農業の育成策だったわけですが、その主たる目的は日本酒づくりに回るお米を減らして、主 食用に多くまわすことにありました。当時はまだ深刻な米不足の時代ですから、国民がどうせお酒を飲むにしても、日本酒ではなくワインを飲むようになれば、 多少は米不足の解消になるだろう、というわけですね。そのために、欧米からワイン用のブドウの苗を輸入し、全国にブドウ園を作って100万本近いブドウの 樹を植えて、ワイン醸造会社を幾つも興したのです。


 しかし結局この試みは完全に失敗しました。ブドウが病気にやられたなどの理由もありますが、決定的な理由はワインが消費者 に受け入れられなかったことです。当時の日本国民の味覚では、白ワインは酸っぱく、赤ワインは渋く苦く、ご飯と味噌汁に漬物、焼き魚といった食生活にも全 く合いませんでした。

 唯一受け入れられたのが、合成甘味果実酒、僕らの世代には赤玉ポートワインとして知られている種類のお酒です。葡萄酒やブドウジュースに砂糖、焼酎、香料などを混ぜてつくったもので、厳密に言えばまがいもののワインなのですが、一種の保健酒として支持されたわけです。

 山梨県の勝沼は、松尾芭蕉の「勝沼や 馬子もぶどうを喰いながら」という句で知られるように、江戸時代から日本で唯一ブド ウ栽培がさかんに行われたところです。だから明治政府のワイン殖産政策にも一番熱心に反応して、伝統の甲州種ブドウをはじめ、明治になって輸入された欧米 のブドウ、さらにはそれらをもとに日本で交配されて生み出された品種などを原料にワイン作りが地場産業になりました。しかし、今述べたような事情で、全国 に出回る商品はほとんど合成甘味果実酒だけですから、生食向けに栽培されたブドウの残り物を原料にワインがつくられて甘味酒の材料になり、一部加工されな い「生葡萄酒」が地元消費用の安いお酒として1升瓶詰される、という時代が長く続いてきたのです。

 こうした歴史が変わっていくのは第2次世界大戦の後です。とくに高度成長の中で、ライフスタイル、食生活が欧米化し、「ワ インのある生活」がおしゃれなものとして宣伝されることによって若い世代を中心に少しずつ浸透していきました。といっても、大手のメーカーが販売する安価 なワインは海外から輸入したワインに少しだけ国産のワインを混ぜて、「国内産ワイン」と称するものがほとんど。勝沼の多くのワイナリーはワインを飲みつけ ない観光客を相手に、地場特産のお土産として「飲みやすいですよ」と甘口のワインを売る、という状態でした。一方、北海道を初めとしてワイン専用品種のブ ドウを大々的に植え、本格的なワイン作りに取り組むところも出始めましたが、品質のレベルはまだまだでした。だから、外国産ワインを飲みつけている本格的 なワインファンにとっては「日本のワイン」など見向きもされなかったのです。


 しかし、貿易の自由化の進展の中で、気軽にフランスの名醸酒やニューワールドのコストパフォーマンスの高いワインを飲めるようになってくると、このままでは日本ワインの将来はない、なんとかしなければ、という動きが出てきます。

 その一つが、最大手のメルシャンワインがフランスのミュスカデというワインづくりに取り入れられていた「シュールリー製 法」―アルコール発酵が終わったあと、酵母のカスなどのオリを通常は取り除くのですが、数ヶ月間そのままオリとワインを接触させ続けることにより、複雑な 旨みを与えるというつくり方―それを取り入れて、それまでうすっぺら、平板だと言われてきた甲州種の辛口ワインの品質を画期的にレベルアップする、といっ た動きです。

 もう一つが、伝統産地・勝沼の中小ワイン会社の若手作り手の中から出てきた動きです。中心になったのが、僕の入った中央葡 萄酒の現在の三澤社長とか、ルバイヤートというブランドで知られる丸藤葡萄酒の現在の社長の大村さんたちで、いずれも老舗メーカーの後とりで、我々より数 歳下の世代です。彼らが20数年前、先代がまだ社長だった時代に、一方でメルシャンからシュールリー製法を学んで、甲州ワインのレベルアップに取り組むと ともに、他方でカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、シャルドネなどのヨーロッパ系ワイン専用ブドウを、日本の伝統的な棚式ではなく、世界標準の栽培方法で ある垣根式で栽培するという取り組みを始めたのです。つまり、ワインが世界商品であり、日本も世界市場の中に取り込まれる以上、世界的な標準である共通品 種のブドウを栽培し、それを原料にワインを造るという共通の土俵で腕を磨き、評価される以外に、日本のワインの生き残る道はない、という決断を下したので すね。

 そんな流れの中で、僕は、畑で働くこと、農業をすること自体が生まれて初めての経験という身で、ワイン用ブドウ栽培を始め、一から学びながら、畑を開き、ブドウの樹を植え、育て、果実の品質を高めるための工夫をするという仕事を続けてきたわけです。

 当時は、メルシャンやサントリー、マンズといった大手のワイン会社でも、大学で栽培学を修めてブドウを栽培する社員は 1~3名、中小の会社では栽培専門の社員のいる会社など皆無という状態でした。だから、50歳近いズブの素人でもなんとかがんばってきて、10数年たって 一応は専門家として扱われるということになりました。

 この十数年で、日本のワイン作りの水準はめざましくレベルアップしました。カベルネ、メルロ、シャルドネなどの万国共通品 種でも国際コンクールで金賞や銀賞を獲得するワインがいくつも生み出されてきていますし、そこで培った栽培や醸造の力を伝統の甲州種ワイン作りに注ぎ込む ことによって、甲州種ワインが世界に認められる時代が来ようとしているのです。

 なぜかというと、料理と連動しているのですね。世界的な健康ブームともあいまって、食の世界で日本食の評価が高くなっていま す。欧米の主要都市には当たり前のように寿司バー、回転寿司の店が存在する時代です。フランス料理などもそうした影響を受けて、ソースよりも素材を重視す るヌーベル・キュイジーヌの流れが強くなっています。このなかで、日本食や寿司には、シャルドネやソーヴィニヨン・ブランなどより、甲州のほうが合うので はないか、というわけです。ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン、ロバート・パーカーなどの有名なワインジャーナリストが甲州種ワインを高く評価 し、世界のワイン市場の中で一定の地歩を占める可能性があると認めています。

 世界中のワインを紹介する本で、ワインファンのバイブルといわれる、ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン共著の『ワールドアトラス オブ ワイン』の最新版では、日本のワインの代表として、メルシャンの長野メルロと我が社のグレイス甲州が紹介されています。

 そんなわけで、日本の本格的なワイン作りはようやく軌道にのりつつあるという段階なのです。ワイン好きだけれどこれまで外 国のワインしか飲んだことはない、という方にはぜひ日本のワインを飲んでいただきたいし、今までワインに馴染みが薄かった方も、これを機会にぜひ日本のワ インに親しんでいただきたいと思います。

 また、一昨年だったか、『サイドウェイ』という、中年男女がカリフォルニアのワイナリーを回るツアーでめぐり合って・・・と いうアメリカ映画がアカデミー賞候補になったりして評判になりましたが、いま欧米ではワイナリーめぐりが大きな楽しみになっているのですね。大阪、関西か ら少し距離がありますが、山梨や長野には魅力的なワイナリーがたくさんありますから、ぜひ足を伸ばしてみて下さい。

3)我等これからどう生きていくか

 さて、ワインの話はこれぐらいにして、我々が還暦後をどう生きて行くのか、という話を少しだけしたいと思います。

 まず僕自身の話しをすれば、60歳を越え、農場長という会社における役割は近く後任に任せることになります。しかし、体がいうことを効く限り、今後もブドウ栽培にかかわるつもりです。

 よいワイン原料をつくるという基本目的の責任は、現役の諸君に委ねるとして、ワインファンに農場を案内してブドウづくりにつ いて説明する仕事、休日にブドウ栽培を体験したい人や定年後ないし脱サラしてブドウ栽培に取り組みたい人に教えたり一緒に働く仕事、僕の連れ合いがずっと 障害者福祉にかかわる仕事をしているという縁もあって、障害者の仕事や楽しみの場としてブドウ畑を提供すること、などは、現在も一部していることですが、 これから本腰を入れたいことです。

 一方、僕自身としては、このような現在の生き方とそれまでの生き方をきちんと総括することも必要だと思っています。今日はこの話は突っ込みませんが、基本的な方向を一つの本を紹介するかたちで述べさせてもらいます。

 我々より少し上の世代に見田宗介という社会学者がいます。手近に手に入る本としては、岩波新書に『現代社会の理論』と『社会 学入門』という2冊の著書があります。96年に出版され、「情報化・消費化社会の現在と未来」という副題をもつ前者は、資本主義と社会主義の対立で彩られ た20世紀が資本主義の勝利で終わったことの意味とこれからの課題を鮮明にしてくれる好著ですが、今日紹介するのは、昨年出版された、「人間と社会の未 来」という副題の『社会学入門』の方です。見田はここで、社会の理想的なあり方を考える場合、一方で「喜びと感動に充ちた生のあり方、関係のあり方を追求 し、現実のうちに実現することをめざす」という発想と、他方で「人間が相互に他者として生きるということから来る不幸や抑圧を、最小のものに止めるルール を明確化していこう」という発想があるけれども、その両方を、どちらか一方に還元しないでともに追求する必要があるということを述べています。彼はその社 会モデルを「交響するコミューン・の・自由な連合体」という言葉で表現していますが、単純化していえば、「生きがいを求め、楽しく生きるための仲間づく り」をしながら「よりましな世界をつくるための関係づくり」をしていこうということでしょう。


 還暦を越え、多くは定年を迎える我々としては「生きがいを求め、楽しく生きるための仲間づくり」のほうがおそらくは切実な 問題でしょう。この点では、みなさんのそれぞれが既に何かに取り組まれたり、探されたりしていると思います。岩波新書つながりでいえば、ごく最近出版され た加藤仁の『定年後―豊かに生きるための知恵』という本は、ものすごくたくさんの事例が紹介されていて、参考になるだろうと思います。

 そのうえで環境問題やグローバリズムの問題、格差問題や若者の問題など深刻な社会問題が山積みしていますから、「よりまし な世界をつくるための関係づくり」の方も、それぞれの持ち場とスタンスに応じてやっていくことが必要になります。この点に関しては、団塊世代の定年後の生 き方とニートやフリーターといわれる若者の生き方を関連づけて書いたNHK出版から出ている島内晴美の『団塊フリーター計画』という本がより刺激的で面白 いかもしれません。

4)同世代のつながりは大切


 とにかく僕が最後に強調したいのは、同世代のつながり、とくに同窓生のつながりはとても大切だということです。「楽しく生 きるための仲間づくり」にとっても、「よりましな世界をつくるための関係づくり」にとっても、多感な人間形成の時代を同じ場所で過ごした、直接利害関係の ない友人というのは、貴重な財産です。


 こういうと「初めて同窓会に出席したくせに白々しい」と思われる方もおありでしょうが、僕にとって高校時代の友人関係は人 生の最大の宝物でした。先ほどは「運動をやめた時に神尾に助けられて次の道を歩み出せた」と言いましたが、運動に夢中になっていた時も、殺伐とした気持ち で続けていた時も、残念ながら93年に病気で亡くなった牧野と一年に何回か話しこんだり、牧野や加藤や福田や神尾の家に行って、家族ぐるみで楽しむことが 人間としての大きな支えであったりしたのです。


 だから一昨年に神尾と市川君が小学校の同窓会で再会したことがきっかけになって、東京で同窓会が開かれてからは、大手前の 同窓生に会うことが大きな楽しみの一つになりました。一昨年、昨年と連続して、9月に山梨県の北部、明野町のミサワワイナリーで開かれる収穫祭には前日か らの泊りがけも含めて多くの方が参加して下さり、楽しい時間を過ごしました。茅ヶ岳の麓に位置し、南アルプス連峰、八ヶ岳、富士山などを望む風光明媚な高 原でのお祭りですから、ワインを飲まれない方にとっても魅力的だと確信します。日程はまだ確定していませんが、今年もまた開催しますので、これまで来られ なかった方も含めて、ぜひ多くの方がご参加ください。

 また、自宅も農場のすぐ傍にありますので、イベントにかかわらず、関東に来られる機会があればぜひお立ち寄りください。近 くには、町村合併で同じ北杜市の一部になった、全国的に有名な清里もありますし、今年のNHK大河ドラマ、『風林火山』の舞台でもあります。今年の国内観 光は山梨行きで決まりでしょう。

 ということで、話を締めくくることにします。どうもありがとうございました。

2007年5月3日

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