石工と葵和子さん—鈴木さん1周忌イベントにあたって(2009.4.26)
- redvine
- 2009年4月26日
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二〇〇九年四月二八日 赤 松 英 一
キワコハ ボクニ 大キナ石ヲ買ッテクレルト云フ。
ボクハウレシイ.ボクハ石工ダ.
キワコハショウバイヲシテ 一パイオ金ヲモウケテ 大キイ石ヲ買ッテクレルト云フ。
ボクハウレシイ.ボクハ石工ダカラ 石ガ眼ノ前二アルコトガ一番.
キワコハ 生キ々ト云フ.ホントウニオ金持ニナッタラ.
ホントウニオ金持二ナラナイ方ガヨイ。
キワコガホントウニオ金持二ナッタラ ボクガ石工デアルコトヲ忘レルノデハナイカト心配ダカラ 今ノ方ガヨイ.今ガ一番ヨイ.夢ノヨウデ生々ト出来ル。
ボクハ石工ダカラ 石ヲコツコツ刻ンデ居ルノガ一番ヨイ.楽シイ.ウレシサデ一日ガクレル.ソンナマイニチガボクノ一生ニナレタラ ボクハ満足ダ。
46億年間ノ歴史ヲヒメタ石ハ ソノ中二無限ノ夢ヲ内ゾウシテイル。
ボクハ石工ダカラ コツコツコツコツト刻ムコトガツヅク。
今ハキワコノ大キナ石ガナクトモ ドンナ石ヲ刻ンデ居テモ 地球ノ歴史ニハ変リガナイ。
僕ハ人間ダカラ キワコノ云ッテイルコトガウレシイ。
ソレダカラ コツコツコツコツコツガ續ケラレル、楽シク。
右の詩は、鈴木さんが一九九四年三月十二日に、いつも持ち歩いている手帳に記していたものです。
鈴木さんと共にした日々を振り返るために手帳を読んでいて発見し、自分を文章で表現することのなかった鈴木さんにとって貴重なものだと考え、去る二六日の講演会で読み上げました。
その日の話で、僕が青森に来るきっかけをつくってくれた友人、神尾賢二が「翁屋の齋藤葵和子さんというのは、青森のメディ チ家のような存在だ」と語ったことを紹介しました。しかし、実際に来てみて分かったことは、齋藤家の葵和子さんも巳千郎さんもメディチ家の当主たちに劣ら ぬ文化人ではあるものの、財産家としては、失礼ながら較べるすべもないということでした。
鈴木さんの作品を整理する仕事をいただき、千刈に僕が住み込み管理人になって「ギャラリーま」を開設したあと、翁屋として 鈴木正治美術館のようなものをつくれないかと検討しました。その過程で、僕は帯広の六花亭が建設した「坂本直行記念館」を訪ねたことがあります。素晴らし い施設で、うらやましい限りでした。でも、現実は新しく開店する佃店の一角に「ギャラリーま」を移転・開設するのが精一杯でした。
しかし今、僕は、「ホントウニオ金持ニナラナイ方ガヨイ」「今ノ方ガヨイ.今ガ一番ヨイ」と書いた鈴木さんにならって、「翁屋が大財産家でなくてよかった。今の方がいい」と言い切りたいと思います。
鈴木さんの人と作品を愛するすべての青森市民の、また全国、全世界の人々の力を集めて、青森の街そのものを鈴木さんの美術館とすること――「鈴木正治と『わ』の会」の結成と一周忌イベント「街なか回廊 鈴木正治の宙」の開催は、その第一歩を大きく踏み出しました。
主催する人、参加する人が楽しくなる、そして鈴木さんの類まれな精神性――葵和子さんはそれを「美の宗教」と名づけましたが――を受け継ぎ、次の世代に伝えるような、そんな活動をさらに発展させることを期待します。
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