穴吹史士君との往復メール抄 (2010.1.9〜5.11)
- redvine
- 2010年5月11日
- 読了時間: 16分
【0】序
穴吹史士君と僕が生前実際に会ったのは、彼が2009年4月に明野に来た時とその年11月に僕ら夫婦が彼の家(田喜野井荘)を訪ねた2回だけであった。しかし、2008年11月の司馬遼太郎夫人福田みどりさんの明野訪問で彼のことが話題になって以来、僕と彼の間のEメールでのやりとりは、それぞれ35〜36回にのぼるほど密なものであった。ここでは、その中から2010年年頭からのいくつかのものを再録する。(画像は省略)
【1】赤松→穴吹 2010年1月9日 「60万円の富士山」
新年初メールです。
体調のこと気にかかっていますが、今日は気分転換になればと写真を送ります。
過日、「60万円で富士山が買えるなら安いもんやないか」と仰った自宅デッキから畑の向こう、松林越しの富士山です。本日朝6:30から7:00にかけての撮影です。確かに、60万円は安いですね。
【2】穴吹→赤松 2010年1月9日 「Re: 60万円の富士山」
林越しの富士山も風情がありますね。
うちからも今朝は、富士山がよくみえましたが、ご存知のとおりの電柱越しで……。同じ山を、反対の方向から眺めているのは、不思議な気がすると同時に、住んでいる場所が、地続きであるのを実感できます。
60万円の林地を買い取られる場合、20万円ほど出資させて下さい。
葡萄畑越の富士山眺望権を分担しているというのは、考えただけで、楽しいですからね。
いま、銀座鳩居堂画廊で、中村さんの能面展が開催中。
昨日、うちのおかーちゃんが、見に出かけ、中村さんと話し込んできました。
北中とは、入れ違いだったそうですが、展覧会は盛況だったとのこと。
体調は、いまひとつです。抗癌剤の副作用によるもので、いずれ抜けるということであればと思っています
【3】赤松→穴吹&福田みどり 2010年2月2日 「明野農場—雪の朝」
ニュースでご存知でしょうが、昨夜は関東甲信越に大雪が降りました。
たぶん、田喜野井荘のあたりも若干の積雪があったでしょうね。
明野は13cm積もり、今日は畑作業はやめて、写真を撮りました。
最初の2枚は、南アルプスに陽光が射し始めた7時頃、丘の上から南西と北西を撮ったもの。
3枚目の写真は南アルプス、甲斐駒ケ岳の頭上を沈みつつある残月です。
三日前ならひと月に二度目の満月(ブルームーンというらしい)と重なったのですが・・・。
その次は、東の空、今まさに姿を現した朝日です。
明け方の写真つながりで、穴吹さんには一月初旬にお送りした、我が家のデッキから松林越しに一瞬のシルエットだけ見ることができる富士山の写真も挟んでおきます。(穴吹さんの明野農場訪問記で「60万円で買える富士山」と紹介されたもの)
最後は雪を一番喜ぶコジローです。
ひとときのお楽しみに。
【4】穴吹→赤松 2010年2月4日 「Re: 明野農場—雪の朝」
すてきな写真、楽しく拝見。
いま入院中で、家族以外、お見舞いをお断りし、ろくでもなかった生涯を思い出しながら、過ごしています。このまま、ここで終わるかも知れません。
桃源郷再訪、楽しみにしていたのですが。
【5】赤松→穴吹 2010年2月4日 「返信メール読みました」
覚悟のほどは分かっているつもりなので、なにも言いません。
「三大おしゃべり」が揃うことは不可能でも、「二大おしゃべり」の放談はもっと早くからしたかったし、もっと何回もしたかった。いや、したいと思っています。
せめて、なにかネタのあるときはせっせとメールすることにしましょう。
【6】穴吹→赤松 2010年2月5日 「Re: 返信メール読みました」
過酷で非情な世間に包囲され、手に小石ひとつを握りしめ、熱い義侠心と強い自負心、それに生来の明朗さをもってすっくと立っている——、そんなあなたの人生を思い、畏敬の念に駆られます。
人生終盤のごく短時間ではありましたが、あなたを相見知れたことは、ぼくの大きな誇りです。
その誇りを携えて死んでゆけるのは、もうけものです。
【7】赤松→穴吹 2010年2月12日 「穴吹富士」
この前の貴兄のメールで「自宅反対側からの富士山眺望権に出資希望」を受けて、腹を決めて動き出しました。
まず、貴兄の気持ちをありがたく頂戴して、僕と貴兄の負担で松を伐採するつもりであることを社長に話しました。この件は、もともと富士山を見るためでなく、ブドウ畑の日陰をなくすことや毛虫被害をなくすことを目的に会社として追求した事案だったからです。
すると、社長は、全額負担は厳しいが、まず富士山の見えるところだけ3分の1なら会社がだすから、そのように交渉してはどうか、と提案してくれました。
さらに、元の見積もりから5〜6年経っていることもあり、経費を節約できないか情報を探ったところ、耳寄りな話しがありました。
産廃業者がパルプ原料のチップにできるのなら、安く請け負う可能性があるというのです。
早速交渉した所、重機搬送などの実費負担だけ(3〜5万円)でやってくれることになりました。
というわけで、伐採届けの事務手続きなどがありますから、3月末か4月初旬になるそうですが、あの松林を切ることができそうです。
そうした流れから、貴兄に出資してもらうことは不要になりました。
しかし、すべてはあなたの提案から始まったことですから、僕としてはこのプロジェクトを「自宅デッキから穴吹富士を見る」と名付けることにしました。
ぜひ見てほしいです。
【8】穴吹→赤松 2010年2月12日 「Re: 穴吹富士」
素晴らしいニュースです! ただ不満がひとつ。
名前を引いて頂けるのはたいへん嬉しいのですが、出資の枠を与えていただけないのは、困ります。
最初に、ご提案したとおり、20万円まで用意しています。機材だけでなく、もろもろの費用が追加発生すると思われます。20万円以内なら、全額穴吹負担にさせてください。それで初めて、名実ともに「穴吹富士」です。
無理をいうようですが、ぼくの最晩年の出費のうち、いちばん有効に使われるお金となるはずですので、ご検討をお願いいたします。上記方針には、おかーちゃんの全面的賛同を得てもいます。
最大これくらい必要だという金額がわかれば、あなた個人でも、会社でも、税制に抵触しない口座をすぐ教えて下さい。明日人事不省に陥っても、おかーちゃんに、ちゃんと処理するよういってはおりますが。
もし、こどもや孫が、ぼくのことを知りたいと思い、グレイス農場を訪問した際は、3大おしゃべりの生き残りとして、おおいに来歴を語り伝えてください。
(7天で短い記事を載せ、自慢したい気もありますが、絶対に書き残しておかなければならないことも、なかなか書き始めらず、そのままにしているので……)。
【9】赤松→穴吹 2010年2月13日 「Re: 穴吹富士」
わかりました。
この件はあなたの意向にそうようにしたいと思います。
なお、費用は最終決定ではありませんが、伐採だけなら先に書いたように3〜5万円ですみそうです。
そのうえで、僕の目論みとしては、跡地を若干整備してベンチを置いたりして、富士山とブドウ畑を前後に眺めることができる場所にしたいと思っています。
この「ミニ公園」(当然、内々では穴吹公園と呼ぶことになるでしょう)としての整備には少し時間がかかるでしょうが、絶対やりとげるつもりです。
以上の内容でよかったら、穴吹公園整備基金として、上限の20万円を預かることにします。
穴吹富士をまずはみどりさんに見てもらうことにしましょう。
【10】穴吹→赤松 2010年2月13日 「Re: 穴吹富士」
以下の件すべて了解。
とりあえず、現金書留で20万円、来週あたり、あなたにお送りしますので、よろしくお願いいたします。
すてきな公園になるといいですね。
【11】赤松→穴吹 2010年2月18日 「現金書留受け取りました」
本日、現金書留で20万円受け取りました。
必ず、穴吹富士及び穴吹公園の実現のために使います。また、明細は報告するようにします。
同時に、財産区及び北杜市に伐採申請の書類を提出しました。
先日、菜の花忌でみどりさんが上京される機会に、浅井さんにこの間の経過を報告して、現状の中での桃源郷の宴2実現への意向を聞いてもらいました。
みどりさんは、ぜひ実現して、穴吹富士を見たいと強く希望され4月14日〜16日の日程が固まりました。彼女は昨秋に眼の調子が悪くなり、検査の結果、格子状網膜変性及び白内障と診断され、1月に片目の手術をし、菜の花忌を挟んで2月に残りの眼の手術をするというたいへんな状態だったそうです。
それでも3月一杯で元通りになる見込みなので、4月中旬に明野に行くのは大丈夫だろうということです。
今も一応穴吹さんの部屋だけは確保してありますので、今後も松林の件とともに、宴の進行についてもお知らせはするようにします。
【12】赤松→穴吹 2010年2月20日 「七天記事アップ万歳!」
18日付けのメールにそれまでのように即レスがなかったので、体調に変化があったのかと気をもんでいました。
さきほど本日何度目かの七天チェックで記事アップを確認しました。これを作成していたんですね。よかった。こうなれば、ご本尊自ら穴吹富士ご高覧に来ていただけるかもしれないと期待しましょう。
【13】赤松→穴吹 2010年3月9日 「伐採許可がおりました」
明野は今日から明日にかけてまた雪です。
昨日、財産区(共有地組合)から北杜市の伐採許可が下りたという連絡がありました。業者のスケジュールでは、下旬からの工事が可能なようです。順調にいけば今月中に完工です。
一方、浅井さんからの連絡によると、みどりさんの眼の手術の日程が13日に決まったそうです。よく見えるようになった両目で、あなぶき富士をしっかり見てほしいですね。
次の話はどうしようか迷いましたが、穴吹さんには知らせてもいいと思って書きます。
あなたが覚えていた「おそ松くん」ふうのポスター。あれを書いた村上次郎という先輩が26日に亡くなりました。昨年夏からやはりガンの転移再発により京都で入院生活を送っていました。覚悟を決めて、重信房子さんを支える会の機関誌『さわさわ』10号(1月30日刊)に寄稿した辞世の句。
願はくば のどけき光あびながら うつらうつらとあの世とやらへ ごめんねジロー
茨木高校新聞会時代からジャーナリストを志望した、豪傑肌の快男児でした。
しかし、一時東京に出て『太陽』の編集部にいたとき以外は関西の経済情報誌のデスクで終わり、それも、エンピツ一筋気質のため、デジタル化の流れについていけずリストラ。この十数年は京都郊外で百姓をしていました。昨年11月に見舞いに行き、あなたのことも話題にして、とくに俳句談義をしたのが、直接会った最後でした。
人生について、生老病死について考えさせられています。
【14】穴吹千賀子→赤松 2010年3月12日 「Re: 伐採許可がおりました」
ご無沙汰いたしております。穴吹千賀子です。
明野はまだ雪景色なのでしょうか。
穴吹は、9日19時12分、入院先の北里研究所病院にて逝去いたしました。
“あなぶき富士”の話が実現できそうだとお知らせいただいたときは、車椅子ならみられるかな、と話していたのですが……。
「僕が死んだら、福田みどりさんにお目にかかるチャンスは、おそらくないだろうから、あんた(千賀子)は必ず参加するように」とのことでした。
まだ、心と体の整理ができていないので、なんとも申しあげられないのですが、夫の遺言ゆえ、参加するようにいたします。取り急ぎご報告させていただきます。
【15】赤松→穴吹千賀子 2010年3月12日 「心からお悔やみ申し上げます」
残念です。
でも、すべてを覚悟した穴吹さんらしい最後だったと思います。
最大の尊敬を込めて、弔意を表します。
長いご看病で、ご心労いかほどかと察します。お大事になさって下さい。
4月の集いの件、どうすれば一番いいのかは正直の所、僕にも分かりません。
でも、「あなぶき富士」を見ながら、みどりさんと手を取り合って思い切り泣くのもいいかもしれません。
とにかくこの件は、浅井さんたちと相談して、みどりさんの体調や気持ちも尊重して、方針を決めてご連絡させていただきます。
献身的な2年間、本当に、本当に、ご苦労さまでした。
【16】赤松→穴吹千賀子 2010年3月17日 「「桃源郷の宴2」中止のお知らせ」
浅井さんから連絡があり、みどりさんが3月初旬から腎盂炎で入院中で、深刻な状況ではないものの、腎臓結石の除去などで退院まで3週間ほどかかるということです。
そんな状況なので、4月に予定していた「桃源郷の宴2」は中止することにしました。
穴吹さんが最後まで気にかけていらっしゃったように、僕も千賀子さんとみどりさんがお会いする機会をなんとしてもつくりたいです。
みどりさんの体調が万全になってから、改めて考えることにしましょう。
なお、松林伐採の工事が明日から始まることになりました。今月中には「あなぶき富士」が出現するでしょう。そうしたら、写真を撮って、それをお供えするかたちで、一度ご弔問にお訪ねしたいと思います。
【17】赤松→穴吹千賀子 2010年3月30日 「Fwd: みどりより」
先ほどみどりさんにあなぶき富士の写真を送ったら、泉嬢の携帯から次のようなメールがきました。
みどりさんの体調が戻ったら、明野に集まってあなぶき富士を眺めながら、あれこれと語り合いましょう。
件名: みどりより
「入院二十日目の夜です。人間の一生には思いがけないことが起こるものだと今更ながら複雑な思いでいます。穴吹富士を見て心が激しく震えました。行きます。必ず行きます。千賀子さんにそのことをお伝えください。穴吹さんが三途の川を渡っていた九日の夜、私も穴吹さんと一緒に三途の川を渡っていました。どう考えてもそうとしか思えません。きっと穴吹さんが途中で、私が道連れではやりきれないと思ってこの世に送り返したのだと思います。またお会いしたときにお話しします。
【18】穴吹千賀子→赤松 2010年4月1日 「Re: あなぶき富士、全容を見せる」
先日は、お参りありがとうございました。
福田みどりさんからの転送メールも拝見しました。穴吹の最期と、時を同じくご闘病なさっていたのですね。もしかしたら、すれ違って反対方向へ歩んでいったのかしらん。
穴吹富士、見事です。早くみたいです。
実は、赤松さんも七天のホームページでお馴染みかとおもいますが、京都の梨木神社がご実家の女神主こと、難波八束さんが、穴吹の夢を見た。「これから穴吹富士を見に行くぞ」と言っていたと電話してきました。それも、赤松さんが今日、いまごろ伐採が済んで・・・と言っていた、27日の夜だったと。
難波神主は、いてもたってもいられず、来週の土曜日(10日)に一緒に行こうと言っています。
あまりの偶然、ただただびっくりしていましたが、写真を拝見し、近くまでいってみようかと思っています。赤松さんも、洋子さんもお忙しいでしょうから、あえてお声をかけませんが、ご報告まで。
明野の春、みどりさんとお会いできるのを夢見て。
【19】赤松→穴吹千賀子 2010年4月1日 「10日について」
女神主さんの27日の夢もそうですが、10日についても偶然(?)の計らいがありました。
当日、午後3時から我が家で「あなぶき富士を観る会」が開催されるのです。
僕が「グレイス栽培クラブ」というワイン愛好家の組織を主宰していることを覚えていらっしゃいますか。
この仲間は親睦を深めるための手段として、mixiのコミュニティを利用していて、そこに僕は身辺雑記的なことを書いています。昨年秋以降は、穴吹君と僕のつながりなどを書いたり、七天記事を紹介したりしてきました。
最初、「桃源郷の宴」の記事を紹介したときの感想の一つです。
いやーすごい!おもしろい!マリーさん記述の個所は私も吹き出しつつ(失礼)、かつての赤松さんの雄姿に思いを馳せました。
でも一番面白かったのは太陽館での写真における穴吹さんのつっこみ!さすが、私が好きだったころの週刊朝日の編集長です。両親が週刊朝日好きで毎週購読していたので、私も子供の頃からずっと愛読していました。まあ、真っ先に読んだのは迷コーナー「デキゴトロジー」ですが。。
「あなぶき富士」の件を最初に紹介した時にはこんな申し出もありました。
我が家のベランダからは、富士山の右の裾野がちょっぴり見えます。本体はビルの陰・・・・・・なので、松林にかくれた欲求不満な感じが、よーくわかります。というわけで、重大決意をされる際は、1万円ばかり寄付させてください。師匠のベランダから大手を振って眺望できると思えば、チョー気持ちいいので。
この件が七天の記事になったのを読んだ人はこう感想を寄せてくれました。
「葡萄酒郷の四季」拝見しました。つい先だってNHKのTVニュースで、平山郁夫画伯が病床の日々で残された「小さな花々」の作品があるのを知りました。その花々が、なんと優しく 愛しいことでしょうか!
穴吹さんの、いつもと変わらぬ飄々として軽快な文章を拝読していると、優れた画伯はいつも素晴らしい絵を描き、優れた文章家はいつも洒脱な文章を お書きになるのだなあ、としみじみ感じ入ります。
そのうえで、実は4月10日に明野農場で会社が「垣根甲州植樹会とテースティングセミナー」を開催するのですが、そこに栽培クラブのメンバーが20人ほど参加します。それで、この会が3時に終了した後、僕の自宅に集まってもらい、デッキであなぶき富士を観ながら、あれこれ語ろう、ということにしたのです。
僕自身は、1時に植樹が終われば、仕事からは解放され、3時にセミナーが終わるのを待っています。また、洋子さんはこの日、とくに用事はありません。もちろん3時からの「観る会」には参加しますが、特段の準備をするわけではありません。
ということで、この日に千賀子さんと難波さんが明野にいらっしゃるのは、天のはからいとしか言いようがありません。大勢の人と会うのが面倒なら、1時〜3時の間に来られればいいし、時間の都合によっては1時まででも洋子さんがご案内します。
「あなぶき富士を観る会」を企画したとき、一番懸念したのは、果たして当日、富士山が見えるかどうか、ということでした。しかし、女神主さんの神懸かり的霊夢を知った今は、絶対見える、という確信を持つに至りました。ぜひ、10日、明野にいらっしゃることはもちろん、我が家にお越し下さい。
なにしろ、デッキから見てこその「あなぶき富士」なのですから。
【20】穴吹千賀子→赤松 2010年4月10日 「本日はありがとうございました。」
上野原の手前から渋滞に巻き込まれましたが、さきほど、無事自宅に着きました。
難波女神主の夢枕にたった一言、「さあ、これからあなぶき富士を見に行くぞ!」から始まった今回のグレイス農場訪問、見事なあなぶき富士に感激しました。
女神主も、いいもの見た、と興奮気味に話していました。
セミナー参加の皆様にも会えたし、今後もグレイス農場で四季折々の「あなぶき富士」と「あなぶき公園」を愉しみにしています。
【21】赤松→穴吹千賀子 2010年5月11日 「あなぶき公園整備計画始動」
あなぶき富士実現に続き、徐々にではありますが、あなぶき公園整備も始めました。
いまはまず、伐採跡に散乱している樹木のかけらなどを集めて焼却しようとしている段階で、このあと重機を使って整地する予定です。それから植樹や草花の種まきに移ることになります。
洋子さんから聞いた話では、穴吹君が好きだった樹があるとか。
あまり大きくならない樹で、花をつけるものがいいと思うのですがどんなものでしょうか?
一方、福田みどりさんは4月16日に腎盂炎での入院から退院の後、5月7日に白内障の手術で入院され、15日に退院の予定です。たいへんな状況が続いているわけですが、4月10日の「あなぶき富士を観る会」に千賀子さんも出席されたことをすごく喜ばれ、「千賀子さんと一緒にあなぶき富士をみることを楽しみに身体の修繕に励みます」と言っておられます。
「夏までにはなんとかなるかしら」ということなので、明野は8月のひまわりも名物ですから、お盆頃にでも「ひまわりとあなぶき富士を観る会」をできたらいいなぁと思っています。
その頃までには、あなぶき公園の整備も少し進めたいですね。彼の好きだった樹や草花などについてお教え願えれば幸いです。
【22】穴吹千賀子→赤松 2010年5月11日 「 Re: あなぶき公園整備計画始動」
いよいよあなぶき公園が始動するのですね。実は、またまた、計ったかのようなことが・・・。
16日の日曜日に大阪で、赤松さんと穴吹の関係に重大な役割を担ったHPの七天の皆様による「殷人お別れ会」が開かれます。このあなぶき公園計画を発表できれば、穴吹自身が、「最晩年の出費のうち、一番有効に使われるお金となるはず」と言っていますので、グッドニュースとなりますね。
穴吹の好きな樹をいくつか。
・エゴノキ ・ライラック ・ヒメシャラ ・ハクサンボク ・ヤマボウシ
穴吹は、男には珍しくびっくりするほど樹の名に詳しく、園芸店を覗くのが趣味でもありました。
明野の新緑はきれいでしょうね。向日葵も是非みたいです。福田みどりさんとご一緒できたらなお嬉しいです。体の修繕、ぜひぜひお願い申し上げます。
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