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萩原善慧君への弔辞(2007.5.7)

  • redvine
  • 2007年5月7日
  • 読了時間: 2分

萩原善慧君

 君の人生の最後の一日を共に過ごし、君の最後の笑顔を見送った友人の一人として、君を慕って集まった多くの人の前で、お別れの挨拶をします。


 あの日5月5日、君の奥さん佐紀子さんの高校の同学年生である我々8人は、前日の午後から安曇川の君の家を訪れ、夜を徹して楽しい宴をもちました。

 訪れた者の多くは君とは初対面でしたが、奇しくも京都大学文学部入学時のクラスメイトでもある僕にとっては、昨年の5月に続く二度目の安曇川訪問でした。

 そのときも、君たち夫妻と共に、お嬢さんの由以子さん、パートナーのジャン・マリさん、大学のクラスメイトの浜田君、僕たちの高校の同学年である中村さん、浜田君の弟子であり由以子さんの親友である渡辺さんという幾重にもからまる友人の輪で歓待していただきました。

 約40年ぶりに君と再会した僕は、昔と殆ど変わらぬ君の若々しい姿に感嘆するとともに、お寺の息子として周囲から愛され期待されて育った少年時代、全共闘運動の大波に直面した学部の学生時代、そして長く高校の教員として国語教育や生徒指導、学校運営に常に全力で立ち向かってきた君の誠実な生き方を改めて知りました。

 また、君と佐紀子さんがともに築いてきた明るく自由な夫婦関係、親子関係に強く印象づけられました。

 今回の訪問でも、君はきわめて明るく元気で、とくに初めて会った神尾君と意気投合し、お互いに「好きだ」「よい奴だ」「ハンサムだ」と連発しあいながら、今後の友人の契りを交わしていましたね。

 僕とは、「今度は大学のクラスメイトの会合をやろう」「そうだ、呼びかけ人には蜂矢君をすえなければ」と、大いに盛り上がったね。

 そして午前4時半頃、宴を終えて離れの2階で寝るために、ふとんを抱えて笑顔で挨拶を交わしたのが最後になったのです。

 萩原君

 あんなに楽しい時間が永遠の別れになったとは、その残念さを語る言葉もありません。

 君は定年退職後も大学などで教員としての仕事を続けて周囲からも頼りにされていたし、君自身としても勉強や庭仕事など自由にやりたいことをいっぱい計画していた。

 出産を控えた由以子さんのことも気がかりだったろう。

 しかし、君が家族に愛され、友人に恵まれ、多くの人に慕われていたように、残された佐紀子さん、伸浩君、由以子さんにも支えてくれる大勢の人がいる。

 もっともっと生きてもらいたかったけれど、今もそこにある君の笑顔は、君の人生が最後まで充実していたことをみんなに告げているよ。

 萩原君

 安らかに眠って下さい。

2007年5月7日                            赤松英一

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