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僕の経歴の概括と記録&総括すべきこと
1946年 大阪市の東部下町(東成区今里)に自営業者(父が木造船用ボルト・ナット、船釘販売業を一人で営んでいた)の、4人きょうだいの3番目の一人息子として生まれる。当時の大都市中流家庭のごく普通の子供生活を送る。 1959年 地元の小学校を卒業し、親の方針で大阪中心部の...
2010年9月4日
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穴吹史士君との往復メール抄 (2010.1.9〜5.11)
【0】序 穴吹史士君と僕が生前実際に会ったのは、彼が2009年4月に明野に来た時とその年11月に僕ら夫婦が彼の家(田喜野井荘)を訪ねた2回だけであった。しかし、2008年11月の司馬遼太郎夫人福田みどりさんの明野訪問で彼のことが話題になって以来、僕と彼の間のEメールでのやり...
2010年5月11日
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【外部サイトへのリンク】故穴吹史士君のホームページ
●明野農場訪問記(2009.4.14-15) ●田喜野井荘(穴吹宅)訪問記(2009.11.7-8) ●松原越しに「あなぶき富士」(2010.1.1・2.1)
2010年2月1日
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市川君追悼・収穫祭の案内(2009.8.7)
過去数年間にわたって市川隆君からの呼びかけでグレイスワイン収穫祭に参加されたみなさんへのお誘いです。 中にはこのメールで初めて知った方がいらっしゃるかもわかりませんが、あの温厚で面倒見の良かった市川君が今年2月に急逝されてから、はや半年が経ちました。...
2009年8月7日
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金蘭会東京支部会報への寄稿(2009.5)
金蘭会東京支部2009年会報掲載
2009年5月31日
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石工と葵和子さん—鈴木さん1周忌イベントにあたって(2009.4.26)
二〇〇九年四月二八日 赤 松 英 一 キワコハ ボクニ 大キナ石ヲ買ッテクレルト云フ。 ボクハウレシイ.ボクハ石工ダ. キワコハショウバイヲシテ 一パイオ金ヲモウケテ 大キイ石ヲ買ッテクレルト云フ。...
2009年4月26日
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【外部サイトへのリンク】大手前高校同窓会=金蘭会セミナー講演
●ワインの話(2007.5.18) ●ワインの話 Ⅱ ブドウ栽培家が語るよいワインづくり(2008.11.21)
2008年11月21日
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福田みどりさんからの手紙(抜粋)(2008.11.17)
明野の日々から、一週間が過ぎました。 今なお、その余韻の中にいます。 元々私は、生きることに積極的ではありませんが、それでも こんな日の為に人生はあるのよ。 声を弾ませたくなる時があります。若い頃から、胸の高鳴りを覚えるほどに精神が高揚した経験が何度かありました。...
2008年11月17日
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鈴木正治さんへの弔辞(2008.4.23)
鈴木正治さん。 千刈のお家のあなたの部屋には「火ヨウ 金ヨウハ セイトンビ シンダラ ソウシキ イラナイヨ」と書かれた色紙がずっと掲 げられていましたね。その言葉に反して、私たちは今あなたの葬儀のために集っています。でも、それがあなたの心に背くものだとは思っていません。だっ...
2008年4月23日
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萩原善慧君への弔辞(2007.5.7)
萩原善慧君 君の人生の最後の一日を共に過ごし、君の最後の笑顔を見送った友人の一人として、君を慕って集まった多くの人の前で、お別れの挨拶をします。 あの日5月5日、君の奥さん佐紀子さんの高校の同学年生である我々8人は、前日の午後から安曇川の君の家を訪れ、夜を徹して楽しい宴をも...
2007年5月7日
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大手前高校1965年卒還暦記念同窓会講演(2007.5.3)
1)はじめに みなさん、本当にお久しぶりです。一部の方とはここ2年ほど東京や山梨でお会いする機会がありましたが、多くの方とは高校卒業以来、実に42年ぶりということになります。 その間、何回もの同窓会にずっと欠席で「行方不明者」のリストに入っていた者が、還暦記念という節目の席...
2007年5月3日
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鳥居平甲州畑の1年(2006年日本名門酒会機関紙に連載)
日本名門酒会機関誌2006年1月号〜12月号連載
2006年12月1日
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Dr.Smart来日レポート(『ヴィノテーク』誌1999年4月号掲載)
『ヴィノテーク』誌1999年4月号掲載
1999年4月1日
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同上 『牧野義隆 略歴」
一九四六年(以下、西暦年号の一九〇〇年代は省略する) 一〇月一一日、守口市大枝東町の自宅にて、姉ひと り、弟ふたりの四人きょうだいの長男として生まれ る。 牧野家は、祖父が昭和四年頃に自宅で開業した理髪 店を営んでいた。学問好き、読書好きの父の影響もあっ...
1994年4月19日
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『牧野義隆遺稿抄』の「編集後記」(1994.4)
昨年五月、牧野の急逝を一刻も早く伝えようと努力してくれた友人数人からの伝言が手元 に届いたとき、既に葬儀の日は何日か過ぎていた。だから、牧野のあまりにも突然の死をともに悲しみ、彼の生と死について友人たちと語り合う機会をもつこと はできなかった。...
1994年4月18日
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同上 「はじめに」
この小冊子は、一九九三年五月一三日に急逝した、われらが畏友牧野義隆が生前に発表した文章のうち現在入手しえたものと、彼 の死後自宅に残されたノートに記されていた文章のごく一部を編者の責任において選択し収録したものである。配列はおおむね年代順に五つの章にわけておこな...
1994年4月18日
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父を語る(赤松敬『雑文集はきよせ』への寄稿)(1983年)
父について考えることが多くなったのは、比較的最近のことである。 もともと僕にとって、親、とくに父親は重い存在ではなかった。少年時代から何かを強制されることはなかったし、高校から大学にかけて自分の生き方を選択していく過程で干渉されたこともなかった。そうした自分を信頼してくれる...
1983年3月1日
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